震洋艇の歴史、今に伝える。
旧:海軍震洋特攻隊基地跡の特徴
太平洋戦争末期の特攻兵器震洋艇の歴史的遺構です。
高さ3.5m、奥行き20~29mの格納壕跡が見どころです。
自爆型特攻兵器の基地跡には貴重な石碑があります。
当方より若い方々が、今の日本を見ることが出来るのならば、彼らは一体どう思うだろうか?幸か不幸か、ここからは出撃しなかった様だが、時がズレればきっと片道切符で出撃せざるおう得ない状況だったに違いない。若かりし頃、全国色々と周遊しましたが、心から恒久平和を願いたいと思います。
窮地に追い込まれた日本軍が最後の抵抗手段として、小型船舶で特攻するための小型船舶を格納するために掘った洞窟がズラッと並びます。幸い、特攻する前に終戦して、若い命が散らずに済んだけど、沖縄に続きこういった戦争に対する悪しき記憶が残されているのは大事なことです😑
綺麗な場所海だけでなく確り歴史もみてきました。
太平洋戦争末期の特攻兵器「震洋艇」の格納壕跡であり、高さ・幅ともに3.5m、奥行き20~29mで、24艇が格納されていました。震洋艇は全長6.5m、幅2mの二人乗り自爆特攻兵器で、先端に250kgの爆薬を搭載し、敵艦船に体当たりする目的で造られました。太平洋戦争末期、米軍の四国南部上陸を想定し、土佐湾岸一帯に海軍特攻隊が配置されましたが、幸い終戦を迎え、この地が悲惨な戦場となることはありませんでした。現存する壕は貴重な戦争史跡として、恒久平和への遺産として語り継がれることを願うものです。
ここまで近接できる基地跡は珍しいのではないでしょうか。当時の設計思想がよくわかります。
自爆型特攻兵器である震洋特別攻撃隊の基地跡にある石碑。周辺をよく見るとあちこちに手彫りの収納穴が確認できる。後世に伝える重要な場所であるが放置されており勿体無いと感じる。
旧海軍震洋特攻隊基地跡この洞穴は、太平洋戦争当時の特攻兵器 「震洋艇」の格納壕跡である。 壕の規模は概ね高さ、 幅とも3.5m、奥行き20~29mで、 15基掘られ24艇が格納されていた。震洋艇は五型といわれる二人乗りであり、艇の全長6.5m、幅2mの耐水ベニヤ2枚張りで 造られていた。 重量2.4t、 速力25kn (時速約45km)、 先端に250kgの爆薬を装てんし、 敵艦船に体当たりする自爆特攻兵器であった。太平洋戦争末期、1945年(昭和20年) 4月米軍が沖縄に上陸、 全島が住民を巻き込む悲惨な戦場と化した。 この時期、すでに日本軍は軍艦や航空機のほとんどを失っており、 押し寄せる敵艦隊に小型特攻兵器で体当たりするほかなくなっていた。 しかし、大本営は本土 決戦を行うべく米軍の四国南部上陸を想定して、 土佐湾岸一帯に、陸軍部隊を配備、要地には 震洋、回天などの海軍特攻隊を配置したのであった。幸い8月終戦を迎えたが、戦争が長引いていればこの地 も凄惨な戦場と化していただろう。ここに現存する壕は貴重な戦争史跡であり、 恒久平和 への遺産として語りつがれることを念願するものである。設置年月日 平成18年10月1日設置者 土佐清水市教育委員会【旧海軍震洋特攻隊基地跡の看板より】
| 名前 |
旧:海軍震洋特攻隊基地跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
5型震洋艇の基地跡で格納壕が綺麗なまま残っていました。戦時遺構としてしっかりと保存管理されており、案内看板や説明看板、石碑などをはじめとした保存と継承がしっかりとされています。格納壕の前にはチェーンが張ってあり内部は危険防止のために立ち入り禁止ですが、外からでも十分中の様子は窺い知ることが出来ます。自分の調べた限りでは、県下での震洋の出撃に関する情報は見つかりませんでしたが、当時を今に伝える重要な遺構として必見の場所でした。