豊臣家と共に歩む大野神社。
大野神社の特徴
豊臣家家臣大野治長ゆかりの神社で、歴史を感じられます。
大野治長の父、道犬の居城跡に位置し、貴重な歴史を物語っています。
大野一族の説明看板があり、地域の文化を学ぶことができます。
石段を上った先に見える立派な社殿をもつ大野神社。神社から下った境内広場は春には八重桜、秋には紅葉が綺麗な神場所です。また稲荷神社も祀られています。
看板の大野一族の説明には?と思うところがありますがそこはご愛嬌。高台の上に神社がありますがここに大野城があったそう。これが曲輪かな?と思いつつ上がると立派な本殿が。険しい崖の上にありますので防御力に優れた城だったのでしょうね。
延喜式神名帳の丹後国竹野郡・大野神社に比定される神社です旧村社府道657号線沿いにあります駐車場は入口の横がそれのようですこちらは大野城跡でもあり、大坂の陣で豊臣方で登場する大野治長の出生地ということですそれとこちらには「丹後縮緬大会所跡」の石碑もありますちょっとした丘なんで、何回も階段を上がることになります城跡としては、最初に上がったとこの右手に曲輪らしき場所がありますが、そこがそうなのかなぁという感じでしょうか?
豊臣家家臣 大野治長・道犬らの居城跡に建つ。神社は元々は違う場所にあったが、明治初期にこちらに遷座。大野一族が祀られているわけではなく、このあたりはややこしい。明治神祇官の関与に言及されているコメントを寄せられている方がおられるので、詳しくはそちらをぜひ。丹後には饅頭を置いたような小山が多いが、ここも天然の饅頭地形を利用しましたぽい。
「大阪夏の陣」で豊臣家と運命を共にした大野治長の父道犬の居城。
| 名前 |
大野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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大野神社(おおのじんじゃ)。京都府京丹後市大宮町口大野。式内社(小)論社、旧村社。【祭神】大荒田別命資料によると、大野城趾である独立丘の上に鎮座する。創建は不詳。明治5年(1872年)3月4日に小字岡野宮(岡の宮とも、大宮町口大野1708)から遷座。その故地、現在は畑になっている地に建っている標柱によれば、天正年間(1573年-1593年)に一色氏の兵災に罹り、社頭が荒廃したという。明治5年までは細々と祭祀が続いていたらしい。遷座して、式内社として認められたためか、明治6年(1873年)2月10日に村社に列し、明治12年(1879年)10月23日に社殿を造営。御祭神は、宇気持神(うけもちのかみ)と大荒田別命(おおあらたわけのみこと)。大荒田別命はやはり『古事記』には登場しないものの、神功皇后、第15代応神天皇の御世に対朝鮮半島との武力交渉において活躍した武将。上毛野氏の祖とされる。当地でなぜ祀られているのかは不明。明治期に遷って来たという現在地は、豊臣家の部将大野治長、父道犬ら、大野一族の出生地である大野城址。現在は境内とともに公園としても整備されている。大坂夏の陣において、豊臣家に殉じ滅亡。念のため、大野氏と大荒田別命にはつながりは見えない。式内社「大野神社」の論社としては、京丹後市丹後町中浜に鎮座する大野神社(愛宕神社)がある。とあります。