茨田堤の記憶と共に。
堤根神社の特徴
拝殿裏手にある史跡 伝茨田堤の石碑は必見です。
地元の七五三やお宮参りで訪れる方々に愛されています。
京阪大和田駅から近く、街中にひっそりと鎮座しています。
堤根神社(つつみねじんじゃ)。大阪府門真市宮野町。式内社(小)論社、旧村社。主祭神:彦八井耳命 菅原道真【関係氏族】男野氏新選姓氏録に茨田宿禰 多朝臣同祖、彦八井耳命の後也 男野見宿禰仁徳天皇御代造茨田堤 とある。茨田一族。資料によると、淀川の支流古川の南岸に鎮座する。古く旧淀川が草香江(古代河内湖)へ注ぐ地だったという当地は氾濫が多く、仁徳天皇の御宇に日本最古の堤防である「茨田堤(まんだのつつみ)」が築かれました。鎭座地は、市街地の中であるが淀川と支流の古川の定まらぬ流路を安定させた茨田堤際で、古川の左岸に沿つて延々とつらなる堤のすぐ傍に社が立つていた。仁徳天皇紀に、大陸からの渡来人の集団を使って堤防を作ったと言う。 新選姓氏録に茨田宿禰 多朝臣同祖、彦八井耳命の後也 男野見宿禰仁徳天皇御代造茨田堤 とある。 この茨田一族が渡来系の秦氏の技術を借りて堤を作ったものと思われる。この近くに秦、太秦の地名がある。仁徳紀11年の條の「茨田堤」築造に関する説話から、その堤を守護する神として「堤根」と呼ばれたと思われる。茨田宿禰一族との関連が深いと思われ、その祖神を祀つた。堤根神社の祭神である彦八井耳命は、今に至るまで変らなかつたと云われている。菅原道真については、徳川初期にこの地の領主であつた永井信濃守尚政(淀城主)の崇敬した菅公を祀らせたことによる後祀の祭神である。社殿のすぐ東北に数本の樹齢500年を越す大樟が、2~3mの土堤の上に立つている。これが往昔の茨田堤で、昭和の初め頃はこの土堤が神社の西側を南方の方にずつと残つていたと言われている。とあります。
綺麗な参道に親切な神職の方御朱印頂きました。
この神社と淀川の堤防の茨田堤の碑も行って下さい。関係が、良く分かります。
お願い事があり、近所の神社を訪れました。何度か訪れましたが境内に咲く季節の花に癒やされます。
5/29参拝の時の紫陽花の様子です。種類がいつくかあり、どれも美しく癒されて帰ってきました。梅雨に入ったので、また見に行きたいと思います。
京阪大和田駅北東方向の住宅と商店街に囲まれ通り過ぎそうになります。鳥居をくぐり中へ入ると意外と広いスペースです。裏手には、楠木?の大木が立ち並ぶ異空間!
茨田堤の上に鎮座している。境内は広くはないが、参拝者が後を絶たない。門真で唯一の式内社であり、鳥居前には河内と大和を繋ぐ行基道が通じており、古くから信仰を集めた。江戸時代初期にはこの地の領主・永井尚政( が崇敬していた菅公を合祀し、以降は「天満宮」と称していた。
門真市最古の神社、社格は式内社(小)村社、主祭神は彦八井耳命、菅原道真、当社は茨田堤の鎮守として創建されたもので延喜式神名帳に記載される式内社で有るが門真市内には堤根神社が2社有りどちらも式内社と称している、本殿の様式は流れ造り、宮野町の当神社は淀川の支流古川の南岸のかつての茨田堤の際に鎮座する、瓢箪を使って人身御供を逃れたという説話から運気浮かび上がりや防災の神様として親しまれています。
大阪府門真(かどま)市に #堤根神社(式内社)が二社、紹介するのは宮野町の方。日本書紀・仁徳期 #浮かびのひょうたん 伝承が御由緒 境内に隣接する #茨田堤 の史跡遺構 #門真えびす(検索:ものづくりとことだまの国2021年4月22日)
| 名前 |
堤根神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-884-5188 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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京阪大和田駅から徒歩5分ほどとアクセスが良く、駅前には商店や住宅が並びます。訪問日は日曜日で人通りは少なめでしたが、近くに大学があるため、普段はもう少し賑わいのある地域なのだろうと感じました。神社は住宅地の中にあり、道路沿いの鳥居からまっすぐ参道が社殿へと続いています。境内はそれほど広くはありませんが、参拝客の姿も見られ、地域に親しまれている神社であることがうかがえました。社殿の裏側には、大阪府の史跡に指定されている「茨田堤」の跡があります。境内に設置された説明看板には、「茨田堤は5世紀中頃、時の大王家(仁徳天皇)が渡来者の土木技術を活用し、淀川の洪水から集落を守るため築造された我が国最古の大土木工事で、古事記、日本書紀にも記されています」と書かれています。参拝を終えて鳥居を出て裏手の道へ回ると、道路と土手の高低差がはっきりと確認でき、確かに堤防跡らしい地形が残っていることが視覚的にもよく分かりました。さらに裏手の公園内にも説明看板があり、こちらには平成24年の発掘調査で確認された堤防跡は鎌倉時代(13世紀)の築造であり、古墳時代の遺構は検出されていないため、『茨田堤』と断定するには至っていないことが示されています。最新の調査で事実が明らかになっていくことは大切ですが、一方で記紀に記された物語に思いを馳せる時間もまた、この地ならではの歴史の味わいだと感じました。その後、堤防跡から古川およびその支川に沿って、明治時代の測量図を参考に当時と同じと思われる道をたどっていくと、公民館付近や民家のそばなど、ところどころで地形の高低差が残っており、往時の姿を想像しながら歩く楽しい探索となりました。古代の記録に残る「茨田堤」の伝承と、発掘調査で明らかになった中世の堤防跡が重なり合う場所で、歴史の層を実感できる興味深い神社でした。