初めて漂着したデ・リーフデ号。
オランダ船 デ・リーフデ号の特徴
自転車に囲まれてしまったオランダ船を見学できます。
日本に漂着した歴史的なデ・リーフデ号が展示されています。
風格を感じる彫刻のオブジェとしての魅力があります。
■蘭船デ・リーフデ号東京都千代田区にある野外彫刻。蘭船デ・リーフデ号のブロンズ像●風を受けて荒浪を征く帆船像。碑文版には蘭語と日本語も表記されている。本彫刻は、昭和55年(1980)4月22日、オランダ王国ファン・アフト首相来日の際、同首相よりオランダ王国政府に代わり、日本国政府に対し寄贈されたものである。本彫刻のモデルとなった蘭船デ・リーフデ号は、1600年4 月19日豊後臼杵湾北岸佐志生(現在の大分県臼杵市)に漂着したが、同船の乗組員であったオランダ人ヤン・ミーステン・ファン・ニーデンステインは、時の将軍徳川家事に顧問として仕え、わが国ではその名も八重州として知られ将軍よりこの地域に住居が与えられていた。
自転車に囲まれオブジェとしての風格が失われておりました。管理者はもう少し配慮のある配置を考えるべきと思います(特に自転車の方)
1600年頃、新興国であったオランダは更なる東洋への進出を睨んで5船がアムステルダムを出港し、リーフデ号のみが日本の豊後に到着しました。到着した欧州人の多くは日本に留まることを選び、中でもオランダ人のヤン・ヨーステンと英国人のウィリアム・アダムスはその知識の豊富さから徳川家康に重用されました。例えばリーフデ号に備わっていた大砲を使ったことで徳川家康は全国統一を果たして征夷大将軍になり、ヤン・ヨーステンはそこ功績から今の皇居外苑付近に居住地を与えられ、この辺りがその名前になぞられて八重洲とつけられました。明治後にはこの辺りが三菱に払い下げられたことから名前が丸の内になりますが、昭和以降になると東京駅の東側の1部が八重洲という名前になりました。八重洲の名前を再興しようと考えた当時の人はナイスですね。話はそれましたが、江戸の鎖国していた時もオランダとは貿易を続けており、その歴史的な繋がりから、1980年にオランダからリーフデ号のモニュメントが寄贈されています。
Hard to find just behind the bicycle racks.Worthwhile to also visit the memorial on the other side of the station.
日本に初めて漂着したオランダ船が デ・リーフデ号です。ウィキペディアによれば『リーフデ号(リーフデごう、蘭: De Liefde)は、慶長5年3月16日(1600年4月19日)に、豊後国(現大分県)に漂着したオランダ共和国の商船。300トン。日本に到着した初めてのオランダ船である。船長はクワッケルナック。漂着地は臼杵湾の黒島とされるが、佐伯湾の大入島とする説もある。』とのことです。
リーフデ号は、慶長5年3月16日(1600年4月19日)に豊後国(今の大分県)に漂着したオランダ共和国の商船です。日本に到着した初めてのオランダ船だそうです。この彫刻は 昭和55年、オランダ王国ファン・アフト首相来日の際、同首相よりオランダ王国政府に代わり、日本国政府に対し寄贈されたもの。
| 名前 |
オランダ船 デ・リーフデ号 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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Dit beeld van "De Liefde", dat als eerste Nederlandse schip in 1600 in Japan aankwam, werd op 22 April 1980 door de Nederlandse Minister-President, A.A.M. van Agt, tijdens diens bezoek alhier namens de Nederlandse Regering aan de Japanse Regering aangeboden.本像は昭和55年4月22日、オランダ王国ファン・アグト首相来日の際、オランダ国政府を代表して日本国政府に寄贈されたものである。「デ・リーフデ号」は慶長5年(1600年)日本に初めて来航したオランダ船である。ーーー船尾にエラスムス像らしき造形を確認できた。実物のエラスムス像は龍江院(栃木県佐野市上羽田町)に貨狄尊者として継承されている。