俊徳丸伝説を探る古墳散策。
俊徳丸鏡塚古墳の特徴
住宅街にポツンと佇む、静かな古墳です。
近鉄服部川駅から徒歩でアクセス可能な立地です。
俊徳丸伝説に関連する謂れのある古墳です。
地元に伝わる俊徳丸伝説の主人公俊徳丸の墓と言われるが実際は6世紀後半の横穴式古墳。俊徳丸伝説は謡曲、歌舞伎、人形浄瑠璃にも唄われる。物語は簡単に言えば継母の嫉みを受け病に陥る俊徳丸を隣り村の婚約者が四天王寺のご加護を得て病を癒し幸せに暮らし、継母の家は没落して行くというもの。電車の経路は近鉄服部川で下車改札を降りて左に進み最初の山手(東)に向かう道を右へ向かう。道なりに進み、右手におおきな池(服部川総池)がみえしばらく進むと左に案内板が見えてくるのでそこを左に曲がると直ぐに見えてくる。6世紀後半の古墳としても、伝説の主人公俊徳丸を偲ぶ意味でも楽しめます。さらに山手に歩くと山畑地区の氏神様を祀る左麻多度神社や更に歩けば玉祖神社、水呑地蔵院などのハイキングを楽しめる。民家が直ぐ前なのでご注意下さい。
住宅街にぽつんと保存されています道路から見て左手民家のすぐ横に開口しています明るい懐中電灯を忘れてうまく写真が撮れなかったのでまた訪問したいと思います。
住宅街にあるので静かに見学するのがいいです。
散歩先で、見つけました。また行きたいのですが、いつも迷ってしまいます。スマホも携帯しているのですが…トホホです。
▪️大窪・山畑27号墳について「八尾観光Web」において以下のように紹介されています。古墳時代後期 (6世紀) に造られた横穴式石室の古墳ですが、当地が謡曲弱法師(よろほうし)、浄瑠璃摂州合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)で名高い俊徳丸の故地とされていることから、俊徳丸の墓とされてきたようです。出展:八尾教育委員会▪️余談ながら、上方落語の咄にも「弱法師」があり惜しくも50歳にして夭逝した吉朝さんを・・・。上方落語にとっての痛恨事であり大いなる損失と痛手でありました。▪️アクセス近鉄信貴線/服部川駅より徒歩8~10分。
石室には入れないです。
本当に住宅街の中にポツンとある古墳。駐車スペースもないためゆっくり見ることができません。しかし夏場に行きましたが雑草が生い茂っており全く何も見えませんでした。行くのなら雑草が枯れている時期に行くのが行かと思います。詳しい説明はしっかり説明板に書いてあります。
近鉄服部川駅から坂道を頑張ったら住宅街にありました。民家がすぐ側にあるので静かに見学ですね❗石室への立ち入りはNGでした。
一度は行ってください。遺跡がたくさんありますよ☺
| 名前 |
俊徳丸鏡塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
住宅地の中にある古墳です。この辺りを散歩されることがあれば、一見の価値ありだと思います。案内板には以下のように書かれていました。国史跡 高安千塚古墳群 俊徳丸鏡塚古墳(大窪・山畑27号墳)平成27年(2015年)3月10日に、高安千塚古墳群の大窪・山畑支群内の一基として、国史跡指定されました。6世紀に造られた直径15m、高さ3.8mの円墳で、内部は右片袖式の横穴式石室です。高安千塚古墳群の中で構造・規模ともに典型例となるものです。また、この地は謡曲弱法師、浄瑠璃摂州合邦辻の舞台となった俊徳丸伝説の地です。日本画家で、障がい者の社会復帰に力を尽くした大石順教尼(1888〜1968)の依頼で、實川延若(二代目)や松本幸四郎(七代目)、尾上菊五郎(六代目)といった著名な歌舞伎役者が寄進した焼香台や手水鉢、灯篭の竿石があり、文学史跡としても貴重です。平成29年3月 八尾市教育委員会。