桜満開の史跡公園へ!
藤原百川公墓の特徴
桜が満開の小さなスペースが心を癒す、特異な史跡です。
平城京から長岡京、平安京への遷都を語る貴重な場所です。
遊具の存在感があり、訪れる価値を感じる珍しい史跡です。
小さいスペースを覆いかぶさるように桜が満開でした。
総持寺さんと関係があります。
遊具が存在感を結構それなりに主張していて珍しい史跡だなと思います。
平城京から長岡京、平安京への遷都にまつわる史跡。
藤原百川は奈良時代、和気清麻呂と共に道鏡の専横を阻んだとある。説明文は分かり易い。歴史教科書の人物がこんなところで見れるとは。
道沿いで見落としそうな所です。説明文を読むとわかるのですが、歴史に詳しくないと一体誰って感じです。桜の古木に囲まれているので、春は綺麗だと思いますが、よくわからない場所ですね。
普段通り過ぎるだけなので。
| 名前 |
藤原百川公墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,51410,36,420,html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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JR西木津駅から西に行った、相楽神社近くの史跡公園です。公園の真ん中には2つの土山と明治時代の石碑があり、石碑には「藤原百川公墓」と彫られてますね。藤原百川(ももかわ)は学校の教科書でほんの少しだけ出てくる人物ですから、覚えている人も多くないかと思います。なぜ、明治時代半ばという近代になってから、藤原百川の墓の石碑をあえて建てたのでしょうか。石碑を建てた背景を一言でいえば、「百川は奈良から京都への遷都の功労者だった」からということになります。この石碑が建ったのは明治27年です。明治政府は千年以上の間都だった京都からの遷都を強行しました。その時、普通に考えれば遷都先の第一候補は、前例がある奈良だったわけですが、後付けでも都を遠方の江戸(東京)にした根拠が必要だったのでしょう。それが藤原百川の存在。784年に藤原百川が「建議」という行政手続を踏んで遷都したから、我々明治政府も1869年に行政手続をして都を江戸に移したぞと。そして色々資料を引っ張り出してきて、藤原百川は架空の人物ではないことを証明するため、墓を見つけ出して石碑を建てました。そういう意味で、藤原百川の墓の石碑があるのは明治政府の政治的な意味合いが強かったのかもしれません。藤原百川は自らが擁立した天皇(桓武天皇)に対して、奈良から京都への遷都を建言したことてで奈良から京都へ都は移りました。藤原百川が居なければ、京都や東京ではなく、いまだに日本の首都は奈良、平城京のままだったかもしれませんよ。もしも、東京からまたどこかの町に遷都する予定なら、是非木津川市にある藤原百川の墓に来てくださいな。藤原百川はあの世で「またか」と苦笑いしているでしょうが。そんな墓です…。今はそんな背景は微塵もなくブランコや滑り台もあり、今では陵墓は子供の絶好の遊び場所になっています。京都最南端の木津から、京都の時代は始まり、そして木津の地で京都の時代は一つの結節を迎えました。