羽曳野の杜本神社、氣の良い参拝スポット。
杜本神社の特徴
駒ヶ谷駅から竹之内街道を150mの場所にあります。
境内には楠木正成の首塚や隼人石が存在しています。
宮司様が温かく御朱印を引き受けてくれました。
姓名判断の占いで検索して、訪問しました。占いの内容も良かったのですが、宮司さんのお話が面白くて、ファンになりました❤️占い後に、神社を参拝しました。とてもよい空気の場所で、心身ともにリフレッシュできて、また明日から頑張ろうと思いました。ありがとうございました✨✨
杜本神社(もりもとじんじゃ))。大阪府羽曳野市駒ケ谷。式内社(名神大)杜本神社二座の論社、旧村社。主祭神:経津主命、経津主姫命。【関係氏族】矢作連。資料によると、創建年代は不詳である。社伝によると、伊波別命(いわわけのみこと)に縁の一族が神社の祭祀を行い、平安時代には「矢作忌寸」を称したという。神仏習合時代に神宮寺の金剛輪寺が創建され、社僧により奉仕されたが、明治の神仏分離により金剛輪寺は廃寺となった。明治5年(1872年)に村社に列格し、明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進社となった。「河内国安宿郡 杜本神社二座」の論社は羽曳野市と柏原市にそれぞれ1社ずつある。羽曳野市の杜本神社の方が有力な論社とされる。近鉄駒ケ谷駅の東400mにあり、社頭を古道竹ノ内街道が通っている。崇神天皇のころ香取明神十四世神孫伊波別命(いわわきのみこと)がこの地は祖神経津主神の陵墓のところであるとしてこの地に住み、神をおまつりされたのがこの杜本神社のはじまりとされる。本殿前には、「隼人石(はやといし)」といわれる珍しい人身獣面石像が左右一対に置かれている。とあります。参考として、「矢作忌寸」は物部氏の傍系一族である矢作連として、祭神:経津主命に関連するが、ある資料では、延喜式にも「杜本当宗祭」と記され、古来当宗社と両社一祭会の如く扱われていた。恐らくは当社の御祭神が当宗社と同じく、当宗忌寸の祖神を奉祀するものではないか。と、関係氏族として、当宗忌寸が上げられている。「当宗忌寸(とうそうのいみき)」は、古代氏族の一つで、東漢氏(やまとのあやうじ)の一族とされています。一方、当社社頭に羽曳野市により設置された案内板は全く異なる説明がなされており、次のように記されています。当社は平安時代初期は「百済宿禰永継」とその祖の「飛鳥戸氏」を祀る神社であった。永継の子の冬嗣は、娘の順子と仁明天皇との間の子である文徳天皇が即位すると実権を握るようになった。永継とその祖を祀っていた当社は『延喜式』神名帳の名神大社となった。ここに言う「百済宿禰永継」とは百済系の渡来系氏族である「飛鳥戸氏」の子孫「飛鳥部奈止麻呂」の娘であり、藤原北家の公卿である「藤原内麻呂」の妻となり「藤原冬嗣」らを儲けました。冬嗣が実権を握っていったのは案内板に記されている通りであり、当社が名神大社として高い社格を得たのは冬嗣の母およびその祖を祀る縁故によるもの、としています。当社の近隣には飛鳥地区に「飛鳥戸神社」が鎮座しており、やはり『延喜式』神名帳に名神大社として列せられています。「飛鳥戸神社」が高い社格を得たのはまさしく冬嗣の縁故と言えるものでしょう。当社に関しても同様に「飛鳥戸氏」の神を祀っていたとすれば高い社格も確かに納得です。しかしこれは比較的近年に発表された説のようで、辻褄は合っているとしてもそのような記録や伝承は全く無く、推測に過ぎない点にやや難があります。と言うように、朝鮮半島と関連する渡来系氏族との関係が、整理されない情報として掲載されています。
羽曳野市駒ヶ谷 にある神社です。織田信長より兵火を受けて焼失したのち、豊臣秀吉に所領を没収されるなど衰退しましたが、金剛輪寺(こんごうりんじ)(杜本神社の神宮寺)の住職・覚峰(かくほう)によって江戸時代に再興。現在に至ります。境内は木が生い茂り、厳かな雰囲気。深い歴史を感じます。御朱印もらうなら神主さんがいるときがおすすめです。
まず、素晴らしい神社です。・1つ目盃状穴に爪4つ初めて見る盃状穴です何でしょうか?酒船石と関係?彗星?と、解説された方あり。また、敷地内には、盃状穴、ナーガ神の古拙文字があります。盃状穴、ラピュタ人ピコ神 シュメール人・2つ目大阪の羽曳野にある杜本神社にある2対の石碑です。ネット解説から、引用江戸時代の記録では隼人石は3個とされている。今あるのは4個であるが、これには面白い話が伝わっている。「奈良町三条の小島屋平右衛門の宅には稲荷の小祠が祀られていて、東の字と狗が刻まれた石像が鎮座していた。家の者が語るには、旧家の土蔵を買い取りて石垣をこぼつと狗石が出てきたので、祀ったという。しかし、事情を良く知る人がいて、それによれば、先代の平右衛門が大黒が芝を開墾して桃畑にしたとき、狗石が出て家に持ち帰り、祀ったという。しかし、祟りがあって、今の平右衛門が元の場所に返した。さらに誰かが運んで、他の狗石と一緒に置かれている」大黒地区は、杜本神社の近くである。よって、祟りを恐れた民が神社に寄進したのではないか?←私の解説ところで、隼人石という名称は江戸時代の考証家、藤原貞幹が名づけたものである。それまでは「狐石」と呼ばれていたようだが、貞幹は「延喜式」に載る隼人が宮中に仕えて警固の時に犬吠をするという記述から、獣頭人身像に隼人を連想したようだ。魂魄となった天皇を石像の隼人が守衛していると見たのである。ただし、隼人が犬の仮面をつけたという事実はない。奈良市の聖武天皇(しょうむてんのう)の皇太子の「那富山墓(なほやまのはか)」にある十二支の「子(ね)」を表した石像に似ています。ただ、私の憶測です隼人は、護衛隼人=薩摩=ケルトケルト=ルーンルーン石碑のタッチと良く似ている。ケルト思想な意識を持った者が作成か?また、オーストラリア原住民の壁画に似ていると解説された方あり。以上、小生では解説できません。今後良く調べてみます。隼人石は、日本でこちらだけしか、拝観できません。是非とも参拝致しましょう。隼人石拝観料は、3.000円です。これ程の古の神社は、奈良でも珍しいです。明日、お参りに伺いましょう。
小山の上に鎮座する趣のある神社。式内社であるが、同名の神社が柏原市にあり論社となっている。しかしこちらの方が有力であろう。空きがあれば北側の公民館前に駐車可能。隼人石という非常にめずらしい石があるが近くでは見れない。その他伝藤原永手墓碑とか楠公首塚とかあるが、なぜここにあるのかの説明は見当たらなかった。
こんな場所にこんな神社があるのを知らなかった。静かな境内ではあるものの、竹のざわめく音が響き渡る神社。人はそれほどいないのではないでしょうか。
拝殿の雰囲気がとても良かったです…だけのヤル気ないようなコメントだけでしたが、やりなおします。緑に包まれた拝殿の雰囲気は本当に素晴らしかったです。伝わらないかもですが、写真を見て頂ければ。今まで何枚もの史跡の写真を撮影しましたが、こちらの神社の拝殿の写真は私のお気に入りで、撮影タイミング的には宝物の写真のひとつです。追記 雰囲気のいい神社なのに、カテゴリーが占いサービス…。
駐車場は多分、鳥居前の参道で大丈夫だと思います。境内には楠木正成公の首塚などあったりします。
杜本神社もりもとじんじゃ大阪府羽曳野市駒ケ谷64祭神経津主命経津主姫命住所の「こまがたに」は高麗=高句麗の谷と思われます祭祀氏族は当宗忌寸で5世紀に朝鮮半島から移住、誉田に定住した故に本来の祭神は当宗忌寸と思われます当宗氏は桓武天皇の娘仲野親王と結婚天皇家には半島人の血が入っています令和天皇は皇太子時代そのような発言をされた記憶があります「隼人石」と呼ばれる石造物あり2020/7/15 参詣。
| 名前 |
杜本神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
072-921-2711 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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