歴史1200年の開運神社。
阿麻美許曾神社の特徴
大和川沿いに位置し、由緒ある神社として知られています。
1200年の歴史を背景に、地域の人々に愛される境内があります。
開運松原六社参りのひとつとして、多くの参拝者が訪れる名所です。
大和川の付け替えで分断された東住吉区の飛び地にあります。とても落ち着いた場所です。御朱印は書き置きです。
「開運松原六社参り」とは、布忍神社、我堂八幡宮、屯倉神社、阿保神社、柴籬神社、阿麻美許曽神社を元旦~15日の間で最初の神社で絵馬を購入し、期間内に各自好きな順序で神社を巡り、絵馬に参拝印をもらいます。すべてを巡り終え、最初の神社に戻ると、記念品の干支の張子を授かります。 昨年も行われたので、来年(令和6年)も行われると思いますので、ぜひ行ってみたいと思います。
松原六社参りで伺いました。境内は意外に広かったですね。4枚目はいただいた御朱印、5枚目は六社参り記念の張り子のうさぎです。
住所は大阪市東住吉区になるのですが、ここを少し外に歩けば松原市です。この神社の名前が、「河内天美」の由来になっています。大きな楠が立っていて、厳かな感じがします。
大和川の南にありながら、大阪市にあるという由緒ある神社です。立派なご神木が迎えてくれます。
土曜日の昼に訪問。誰もいなくて御朱印貰えずでした。
開運松原六社参りのひとつ鎮座地が大阪市なのに開運松原という御神木がひと際目を引きます。
大阪から松原市に入って直ぐの大和川沿いに位置する結構大きな神社です。書物に大同年間(806年~809年)の創建との説があるが不詳ですと記っしてある、一説によると歴史はもっと古いらしい。「許曽」は新羅の言葉に由来するとされ渡来人が先祖を祀ったのが起こりではないかとされているらしい。現在この地域は松原市ですが大和川付け替え前は大阪の矢田村の一部だったようです。矢田には古い寺社が多く昔の矢田村の権力と隆盛が思い浮かびます。
1200年程の歴史がある神社のようです。駐車場もあり参拝しやすいと思います。本堂も立派ですが、御神木のクスノキが素晴らしいです。樹齢500年とも言われてるようで、触れる事もできます。クスノキ推しなだけではないですけど…。沢山の方に見て頂きたいですねぇ。素晴らしい。触れて、パワーと癒やしをいただけた感じがしました。
| 名前 |
阿麻美許曾神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-331-0123 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:00~17:00 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai9shibu/higashisumiyoshi-ku/09027amamikosojinja.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)。大阪市東住吉区矢田。式内社(小)、旧郷社。【祭神】素盞嗚命 (配祀)天児屋根命 事代主命 稻荷大神 天照皇大神 大物主命【関係氏族】依羅連(よさみのむらじ)資料によると、大和川南岸に鎮座している。大同年間(806~809)に創建されたといわれ、「阿麻岐志の宮」とも「七郷の宮」とも称せられている。当地は「依羅氏」の支配した地であったためこの氏族が祖神を祀った。依羅連は、「新撰姓氏録」によると、日下部宿彌と同祖、彦坐命の後、百済人素彌志夜麻美乃君より出づる(社名「阿麻美」の由来となった可能性がある)、また饒速日命十二世の孫懐大連の後とあり、さまざまな系統があったようである。一方、社名の「許曽(コソ)」とは「社」「森」などを表す語で、朝鮮半島由来とも言われています。江戸時代には「牛頭天王」を主祭神とし、東に「春日神」を、西に「蛭子神」を配祀していたことが『河内名所図会』に見えます。明治の神仏分離により牛頭天王が同格の神道の神である「素盞嗚命」に替えて祀られた他は現在も江戸時代の神々を踏襲して祀っているようです。手洗舎の東側に「行基菩薩安住之地」の石碑が建っている。とあります。