古い佇まいの壬生町へ。
石崎邸長屋の特徴
城址公園が近く、観光客も訪れる魅力的なスポットです。
代々壬生藩の主治医が住んでいた歴史的な長屋です。
壬生町のメインストリート、蘭学通り沿いに位置しています。
壬生町の町役場から真っ直ぐ歩く🚶とここに着く。広大な敷地を有している。大手門通り沿いの「石﨑眼科」は石﨑家の子孫。見事な蔵も見逃せない。2021年10月11日(月)に壬生町の街歩きで訪れた。以下は案内板の内容●石崎家は、代々壬生藩医として仕えてきまた。当時の建物は、嘉永6年(1853)の伊勢屋火事により土蔵を除いて、焼失し、母屋、長屋門は、 万延元年(1860) しました。 歴代当主はこの屋敷から城内に通い、非番の際は自宅で患者を診察したり専用の往診に出たりしました。四代石崎正達は解剖図 「解体正図」の著者として有名です。さらに、第 113 回 日本医史学会総会の『石﨑家の医療史』石﨑道治(医療法人石﨑眼科院長)著には、以下のように記されている。●石﨑家は栃木県壬生町通町の蘭学通りにあります.嘉永 3~5 年(1850~52 年)に建てられた母屋,長屋門,土蔵は平成 3 年(1991 年)町指定有形文化財に登録されました。さて,石﨑家の歴史は約 250 年前の明和元年(1764 年)に初代寿見(じゅけん)が壬生鳥居藩の典医頭になったことから始まります。その後現在まで 9 代にわたって壬生の医療に関わってきました。初代から幕末までの 4 代は典医頭であったと伝えられています。4 代目の正達(しょうたつ)は天保 11 年(1840 年 32 歳)に解剖を行い,解体正図を作成しました。典医の 5 代目誠庵(せいあん)は激動の維新を生き,6 代目の鼎吾(ていご)は明治 5年(1872 年 22 歳),函館医学校にて米国人医師エルドリッジの講義を受けました。明治 10 年 2 月におこった西南戦争には 5 月から従軍し,6 月には鹿児島にはいりました。その間,詳細な戦中日記をつけています。(因みに西郷隆盛の最後は 9 月でした。)その後明治14年(1881年 31歳)壬生町で開業し,下都賀寒川郡医師会の設立に尽力しました。7 代目楚治(たかじ)も日露戦争に従軍するなどしたのち壬生に開業し,從七位勲六等旭日章を授かりました.8 代目達(たつし)は太平洋戦争に従軍後,獨協医科大学名誉教授となり,勲四等旭日章を授かりました.9 代目道治(みちはる)は壬生にて開業中です。
代々、壬生藩の主治医として仕えた石崎家の長屋。建物は嘉永6年(1853)の伊勢屋家事で土蔵を除いて焼失したが、万延元年(1860)に建て直した。前の道路は日光道中壬生通で、このあたりを通称「蘭学通り」と呼ぶ。これは壬生藩主の蘭学振興より、多くの著名な蘭学者を排出したことによる。
| 名前 |
石崎邸長屋 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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旧壬生町のメインストリート、蘭学通りです、今は、コストコのあたりが開発され、昔からの壬生町は、古い佇まいをのこしてちょっとした蔵の街の雰囲気です、ポツポツと観光の人も見られます、城址公園が駐車場となっております、機会があったらお立ち寄りくださいね。🤗八坂祭もありますよ。🤗