仁徳天皇ゆかりの古墳群。
楯岡山古墳群の特徴
楯岡山古墳群は仁徳天皇ゆかりの地、歴史を感じる場所です。
三基の円墳があり、見応えのある古墳群です。
地元の伝承と結びついた神秘的な雰囲気が漂っています。
曽爾村の伝承では、楯岡山古墳群(三基、円墳)が、この地で仁徳天皇の追っ手に殺害された速総別王と女鳥王の墓と伝えている。 これらは豪族の墓であり、二人の墓は、少し離れた所にある覆矢(ふや)塚であるという説もある。二人は雨のように降る矢に当たって死んだという。この塚の草花を持ち帰った人がその夜から悪い病気にかかり、「髪の毛を振り乱した女」の夢を見たという言い伝えが『宇陀郡史』に記されているらしい。 隼別皇子は応神天皇の皇子で仁徳天皇の弟。仁徳天皇が雌鳥皇女(めとりのすめらめ)を妃に迎えようと隼別皇子を使わしたが、皇子は密かに皇女を妻としたので、天皇の怒りに触れて、皇女とともに伊勢神宮へ逃れようとしたが、天皇の追っ手に殺された。殺された場所は、『古事記』では、ここ宇陀(うだ)の蘇邇、『日本書紀』では伊勢の蒋代(こもしろ)野とされる。古事記には速総別王と記され、女鳥王に謀反をそそのかされたという。
| 名前 |
楯岡山古墳群 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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小中学校の前辺りにあります。草刈りはちゃんと行われているので石室も近付いて見ることが出来ました。