兼六園の竹根石手水鉢、特別な庭の魅力。
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| 名前 |
竹根石手水鉢 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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金沢の兼六園にある竹根石手水鉢(たけねいしちょうずばち)は、ただの庭石や手水鉢とは訳が違う。見た目は確かに竹の根か幹を輪切りにしたような奇妙な形をしていて、一見すると竹の化石に見えるが、実はこれは太古のヤシの木が化石化した、極めて珍しいものだ。もともと江戸時代の末期ごろから兼六園の夕顔亭(ゆうがおてい)という茶室の前庭に景観を彩る石として置かれていた。あまりにも竹そっくりだったため、当時の人々は本気で巨大な竹の化石だと思い込み、そのまま『竹根石』の名が定着した。伝承の一つに、地元金沢の豪商・銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)が南方から密貿易のついでに持ち帰り、前田藩主に献上したものだというものもあるが、これについては史料上の裏付けがなく、あくまで地元に残るロマンある伝説の域を出ていない。この石の本当の正体が判明したのは昭和に入ってからだ。1952年、東京大学の小倉謙という教授が科学的な調査を行い、これが「竹」などではなく、なんと約1700万年前(中新世)に生育していたヤシ科植物の珪化木、つまり化石化したヤシの幹と根であることを突き止めた。当初は1億年以上前の白亜紀という説もあったが、研究が進むにつれ、現在では中新世の医王山層(いおうぜんそう)と呼ばれる地層が起源だと確定されている。小倉博士はこの化石を新種の「マエダヤシ(前田椰子)」として正式に命名した。その名は、化石の由来である旧加賀藩主・前田家にちなんだもので、学名は『Palmoxylon maedae(パルモキシロン・マエダエ)』となった。さらに翌1953年には浅野川(あさのがわ)の河床から新たなヤシの化石が発見され、こちらは「カガヤシ(加賀椰子)」と名付けられた。こうして金沢市周辺は日本でも非常に珍しいヤシ化石の産地として知られることになる。この竹根石手水鉢が兼六園に置かれているということは、地元の金沢が太古には現在とは比べ物にならないほど温暖な気候だったことを示している。現在の金沢は冬場に雪が降る北陸地方の都市だが、かつてはヤシが繁茂する亜熱帯の森だったわけだ。そう考えると、現在は兼六園という日本を代表する庭園に静かに鎮座するこの石が、数千万年という地球規模のスケールを感じさせてくれる存在に思えてくる。また、この竹根石手水鉢が景石兼手水鉢として設置されている夕顔亭には、実はもうひとつの由緒ある手水鉢がある。中国の故事にちなんだ「伯牙断琴の手水鉢(はくがだんきんのちょうずばち)」という石製の手水鉢で、実際の茶会ではそちらが使用されていた。つまり、竹根石手水鉢は茶室の露地を飾る純粋な景石として置かれていた可能性が高い。実用というよりは、訪れる者の目を楽しませるためにそこにある、という贅沢な存在だ。世界に目を向けると、ヤシの化石自体は他にも発見されているが、景観美術として庭園に置かれているケースは極めて少ない。この石のようにヤシの珪化木をそのまま手水鉢として景観に活用した例は、日本国内では他に類を見ないものであり、その独特な外観や由来からも学術的にも文化的にも非常に価値が高い存在だと言える。現在では兼六園内の観光案内板に、この石の真相が簡潔に記されている。竹の化石という誤解を経て、今では本来のヤシの化石として紹介されているが、「竹根石手水鉢」という古くからの名前はそのまま引き継がれている。古い誤解がそのまま伝統の名として生き続けていることも、またこの手水鉢の魅力を一層深めているように感じられる。兼六園に行ったときには、ぜひこの竹根石手水鉢に目を向けてみるといい。瓢池(ひさごいけ)や翠滝(みどりたき)など有名な見どころに比べると地味な存在だが、その地味な姿の中に、約1700万年前の地球の姿を垣間見ることができるはずだ。庭園美を楽しむだけではなく、遥か太古の温暖な金沢に思いを馳せるひとときも、なかなか悪くない。