秋祭りと共に楽しむ黒田神社。
黒田神社の特徴
本殿や石灯篭を拝観できる文化財が魅力的です。
秋祭りには町内を練り歩く地車が賑やかです。
かつては梅の名所として知られた広い境内があります。
黒田神社(くろだじんじゃ)。大阪府藤井寺市北条町。式内社(小)、旧村社。【祭神】天御中主大神 天照大神 天児屋根命 比咩大神 武甕槌大神 経津主大神資料によると、大和川南岸近く住宅地に鎮座する。広い境内地を持つ。大和川河床の船橋遺跡の南の位置し、付近からは弥生土器が出土する。古代ここに住み着いた渡来人「呉人」の田が黒田に転訛したとの説がある。また一説に藤原氏系図に黒田大連の名が見えることから、中臣系の氏族が奉斎したとも言われますが、いずれも推測の域を出ません(中臣系の祭神が名を連ねている)。社伝によれば、「仁徳天皇の御代に瑞垣を建立し祭祀された」といい、「現在の御祭神は称徳天皇神護景雲二年に祭祀され」たと伝えられています。社伝の通り神護景雲二年(768年)から現在の御祭神が祀られていたとした相当の古社です。江戸時代には当社は「北條天神」もしくは「天王」と呼ばれていたようで、天王とは牛頭天王、天神とは菅原道真公を祀ることが多いのですが、当社の場合は両神を祀った形跡が見当たりません。天神とは「テンジン」でなく「アマツカミ」の意で、それこそ「天御中主大神」を祀る神社であることを示したものだったのかもしれません。明治40年9月19日に式内社 村社志疑神社などを合祀した(志疑神社は昭和21年6月分離独立)。とあります。
鳥居をくぐると、空気の流れの風を感じました。お詣り時、柏手が空間に響き渡り、とても心地良い空間でした。
北条馬場公園2年ぶりに訪ねました!ついで参りでご免なさい!ツツジ咲き蝶々舞い綺麗な神社でした!蜂も居たね☺️
宮司さんが、優しい方で、本殿及び、藤井寺市指定有形文化財の石灯篭を、拝観、撮影させて頂きました。
小さな公園やお祭りの地車の格納庫があったり、地域の方たちにとても大切にされている様子が分かりました。きっと黒田神社の神様も子供が遊ぶ様子やお祭りで活気溢れる人々を見て喜んでおられるのではないでしょうか?
近所の神社です😌💓秋祭りには地車で町内を練り廻し賑やかです🎵落ちついた佇まいの神社です。
末社含めると多くの祭神が祀られていますミニ公園が併設されているので結構広い。
延喜式神名帳の河内國志紀郡の項に記載のある式内社。現在の御祭神は天御中主尊・天照大神・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比咩大神となっているが、境内の案内石板によると、「「神名帳考証」には稲霊を祭る」とある。この案内石板には「古傳には神武天皇の御子、神八井耳命のかくし廟といわれ仁徳天皇の御代に瑞垣を建立し、祭祀されたという」とある。現在の御祭神ラインナップは中臣氏系であるが、それは8世紀以降、この地は中臣氏の支配下にあったことによるもので、それ以前は神八井耳命を祖神とする志貴県主一族が支配していた地で間違いないだろう。それは当地が古代、志紀郡と呼ばれ、この神社の南200mぐらいのところには河内國総社という式内社の志貴県主神社があり、さらに北西1キロぐらいには同じく式内社の志疑神社が鎮座することでも明らかである。そして志貴県主神社は神八井耳命を主祭神とし、そのほか中臣氏系の神々を祀っている。志疑神社は現在素戔嗚尊となっているが、それは戦国時代のことで、当初の御祭神は神八井耳命ではないだろうか。黒田神社や志貴県主神社のあるこの辺りは古代、志貴県と呼ばれる朝廷直轄地で、その管理は志貴県主一族が行っていた。それにしても、神八井耳命のかくし廟というのが気になる。この付近は国府(こう)複合遺跡という有数の複合遺跡で、縄文以前の人骨、その後、縄文人・弥生人の墓地、河内国府跡、白鳳期の寺院跡が発見されている。少し南には5世紀中頃の允恭天皇恵我長野北陵があり、長尾街道も今の位置よりもう少し北を通っていて、この付近は河内の中心地であった。
神社の鳥居の右にある「黒田神社ご縁起」によれば、かつては境内内に五千坪以上の敷地を有し、梅の名所とされていたとのこと。今でも十分に広いけどね。
| 名前 |
黒田神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
072-939-6738 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai11shibu/fujiidera-city/11028kurodajinja.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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公園が横にあり車のガレージスペースも広いので止めやすいです。敷地もかなり広く綺麗にされてました。朱印も書いてくれるみたいです。