永井隆博士の足跡、歴史を感じる場所。
第十一医療隊救護所跡の特徴
故永井隆博士が率いた医療隊の歴史が感じられます。
被爆後の救護活動を伝える貴重な史跡です。
木場郷藤ノ尾の木造住宅の背景が魅力的です。
原子爆弾投下後の遺構として大切な場所で、永井隆先生らの活動を肌身で感じるのに、稀有な遺構だと思います。が、正直な所、難点が数点ありました。車を停める場所がないため、なかなか行きづらい。近くにパーキングがあれば良いのですが。また、昼間に行きましたが、整備が行き届いていないのか、木々が成長してて、薄暗く女性1人行くのはちょっと怖い気もしました。永井隆博士たちが命をかけて治療にあたった場所なので、良い状態で維持して欲しい、と思うのは簡単ですが、実際、活動される方々からすると、なかなか難しく課題が多いことかと思われます。でも、長崎市、はたまた日本にとって大切な遺構なので、どうか大切にして頂きたいとおもいます。行政の方で、どうにか出来ないものでしょうか、、、
被爆後三日間、長崎医科大付属医院で救護活動に当たっていた故永井隆博士率いる長崎医科大第十一医療隊(物理的療法科)の十二人は、博士の息子と娘が疎開していた木場郷藤ノ尾(現川平町)の木造住宅まで向かった。その住宅を拠点に五十八日間、訪問診療を続けた。 (長崎新聞記事より引用)
| 名前 |
第十一医療隊救護所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
2.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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被爆後三日間、長崎医科大付属医院で救護活動に当たっていた故永井隆博士率いる長崎医科大第十一医療隊(物理的療法科)の十二人は、博士の息子と娘が疎開していた木場郷藤ノ尾(現川平町)の木造住宅まで向かった。その住宅を拠点に五十八日間、訪問診療を続けた。十分な医療品もない中での活動。「長崎医大原子爆弾救護報告書」によると、医療隊は七十九人のけがを治し、十人の症状を快方に向かわせた。一方で二十九人は亡くなった。記念碑は、特定非営利活動法人(NPO法人)長崎如己の会が博士らの活動を後世に残そうと設置。碑には、博士の書の言葉「平和を」と「如己愛人」の文字が刻まれている。との事です💦場所が、分かりづらく…帰りに、気づきましたが…ズボンに種がいっぱい付いてました🥲︎💦近所の方から、話かけられ…第十一医療隊救護所跡を見に来る人が、案内しろと言ったり、個人宅の物を壊したりして迷惑しているとの事その仲間じゃないのかと疑われ…40分💦💦近隣住民の理解が得られてないのかな❓😭