西園寺氏の歴史巡り、黒瀬城へ!
黒瀬城址の特徴
意外と遺構が残っていて、登りやすい山城です。
連郭式の構造があり、見どころが豊富です。
福留隼人様を偲びながら歴史に触れることができます。
途中に案内板がほしい。
運動公園駐車場を利用できます。最寄りからは5分もかからず登城口に着きます。この登城口からは城跡東側と西側の岡城との間に出る登城路が有ります。東側から登り一周してきました。城跡は東西に長い連郭式の城跡です。よく整備されており、東側の竪堀がよく見れました。3の曲輪が細長く、南北に土塁横堀が設定されていました。2の曲輪は狭くすぐ本丸になります。本丸北側の帯曲輪というか土塁空堀は見事で、北側一帯に残ります。本丸の切り岸には石積みが見られます。南側に細長い曲輪が見られます。西側に少し降ると堀切の看板があり、岡城方面と運動公園へ戻る登城路が有ります。
意外と遺構が残っていて分かりやすく登りやすい城です。登山道もそこそこ整備されてます。自分は行かなかったのですが御城印の置いてあるところから登り主郭に至りそこから岡城をセットで見て降りるのが一番よく見えるのではないかと思います。御城印は運動公園の倉庫裏にあります。分かりにくいですが陸上競技場を横断すればあります。御城印は無人販売です。300円、お釣りの無いようにしましょう。
福留隼人様を偲んで登りました。
連郭式の山城で、3つの曲輪、武者溜、帯郭、土塁、石垣、石段、井戸、堀切があります。縄張規模は250×40。天文年間(1531〜1555)に西園寺氏の居城松葉城から移る。西園寺実充築・居城、天文18年〜天正15年存続、と愛媛県中世城館跡分布調査報告書にあります。黒瀬城から隣の岡城に行く案内板もあります。運動公園を周囲を囲むように鉢ケ森城、護摩ケ森城、我合城等があります。遺構もよく残っており、名城に選ばれていても不思議でない城跡です。
西園寺氏の持城です、天正12年10月頃、長曽我部氏の軍、幡多部隊により陥落されました、土佐と伊予の境目です、たくさんの戦いがありました。
| 名前 |
黒瀬城址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0894-62-6437 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒797-0015 愛媛県西予市宇和町卯之町2丁目608−3 |
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黒瀬城は伊予南部宇和地域を支配していた西園寺氏最後の本城である。隣接している岡城と一体運用されていたと思われる。黒瀬城は標高340mの黒瀬山尾根に築かれている。麓からの比高は約140mで宇和運動公園から登ることができる。車では未舗装の林道となるが、岡城直下の位置まで登ることが可能である。黒瀬城は最上部に土塁、横堀で守られた広い主郭を持ちそこから段郭が尾根先端まで続いている。先端部の郭には東屋が建つ。二郭には井戸跡が残る。堀切、虎口も確認できる。全体的に見学に苦労はしないが、整備はそこそこである。隣接の岡城はほぼ未整備である。西園寺氏は黒瀬城を1550年頃に築き、近隣の松葉城から本城を移した。しかし、土佐の長宗我部氏の圧力をうけ1584年に降伏。豊臣秀吉の四国攻め後は戸田氏の支配かとなり西園寺氏は滅ぼされた。