志布志城跡で城郭の魅力探訪。
志布志城跡(内城)の特徴
シラス台地の特性を生かした独特な城郭です。
場内は迷路のように入り組んでいます。
志布志埋蔵文化財センターで映像とジオラマが楽しめます。
国指定文化財(日本遺産)です。本丸まで、寄り道しなければ10分くらいで行けます。山道入り口の廃墟郡を始めとして、本丸付近の「三宝荒神」や切岸など、思いのほか見所満載です。虫が多いので長袖・長ズボンは必須です。
続100名城の志布志城跡です。連れがスタンプだけ貰った城なので登城しました。小学校裏から登城します。肝付姓の廃屋を左に見ながら、登ります。最初は肝付氏の城でしたが、紆余曲折しながら最後は島津家の居城になりました。
以前、日本遺産認定のころはきちんと整備されたんでしょうが、今はあまり整備の手が入ってない様子。本丸から搦手の方へ降りたら、通行が厳しいほど左右から竹が折れ倒れて難儀だった。遺構は南九州ならではのシラスを生かした独立式の曲輪が並んで興味深かった。
駐車場も無かったと思います。民家の駐車場に間違えて停めそうになりました。遺構の周辺は特に整備もされておらず廃れている感じがしました。しかし切り立った崖や険しい山から想像するにかなり守りには強い城だったのではないかと思います。もうちょっと地元の方に大事にされて欲しいお城です。
山城としての個性が非常に強い城である。非常に切り立った切岸、がけなどは見事である。いくらシラス台地の加工しやすい石とはいえ、このがけに次ぐがけをこしらえたのは素晴らしい。そしてがけ下(底)を歩く登路は、上から石や弓矢の嵐だったろう。守りに徹した山城は強い。肝付氏、豊州島津氏(分家)など志布志港という物流・舟運を巡り主君が頻繁に変わった城。麓には家臣武士団の武家町がある。登る際は、足元のしっかりした靴で行ってください。アップダウンあり、道迷いもしかねません。実際、私たちは道迷いし、藪こぎをして脱出するのに2時間近くかかりました。お気をつけて。ただ、これだけ見事な切岸を持つ山城はめったにありません。山城好きにはたまらない城です。QRコードでCGがスマホで見られる趣向も良いですね。出水、知覧など本城たる鹿児島城の周囲に外城を持つ、いわゆる「外城制度」は薩摩固有のものだそうです。そして来るべき時に備えて独自の武術「示現流」が受け継がれて明治維新を迎えるのです。
小学校脇に駐車場があります。駐車場脇の道路を北上すると、登城口があり城跡南西側に入っていきます。南側の小曲輪をいくつか登ると本丸につきます。草木が払われていて説明板があり整備されています。ほか3つの主要な曲輪とは深い堀切で区切られていて、直列に並びます。草木が繁茂しているので虎口までの見学しました。東西に登城路というか周回できる道が通っています。西側は土塁と登城路である空堀との段差が顕著に残っていました。他のシラスの城跡では切り立った切岸が多いなか、土塁空堀で囲う縄張は特徴的に思いました。
2024年6月22日、雨だったので登山口入り口で断念。そこまでで、かなり、鬱蒼とした中を歩かなければいけない。履いていく靴は、雨に濡れてもいい万全な登山靴でないとダメっぽい。志布志城は、四つの城の総称で、この内城が、メインであると、観光パンフレットには記載されていた。この次は晴れた日にこよう。
場内は迷路のように入り組んでおり、堀は急勾配の坂になっているところが多いです。かなり体力足の筋力を消耗するので、運動にはいいかもしれません。圧巻は港側から見て左側を貫く、大動脈の如き大空堀です。上の本丸から見ると、相当に高いですが、写真だと伝わりにくいので、肉眼カメラで見たほうがいいかもしれません。迷いやすい場所ですが、場内は割りと整備されている方であり、至るとこにコースマップが設置されており、迷うことはありません。あと最近、QRコードに対応した看板が立てられており、バーコードを読み取ると、カメラを周囲にかざすと、それに対応して、You Tubeに当時の攻城戦を再現した短い動画が視聴できるようになります。*あと、追加の情報として、2023年11月現在、台風6号の影響で最深部の大野久尾?に続く大空堀の辺りは、倒木があるため、立入禁止になっています。
シラス台地の特性を生かした鹿児島県でしか見られない城郭です。掘ったというより削った空堀は圧巻の一言。堀は高くて急で登れず、進行方向も不明でまさに難攻不落の要塞です。お城好きなら絶対に1回は訪れた方が良いです。
| 名前 |
志布志城跡(内城) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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志布志城(内城)(鹿児島県志布志市志布志町帖)志布志は万寿元年(1026)平李基が島津荘を開いて要地となった。最初の築城時期は不明で文献に見られるのは南北朝期の島津、畠山、肝付氏など。戦国期は島津、新納、肝付氏などの争乱、1577年島津領となり鎌田出雲守政近が地頭となりのち一国一城令により廃城。志布志城の構成は内城を中心に松尾城、高城、新城の4城郭からなる。内城は大手口、矢倉場、本丸、中野久尾、大野久尾、あと居館の地頭仮屋跡2021年訪城。内城西側道路499線道路沿いに駐車場、城入口、城案内板があり散策コースマップが各地にありましたので現在を確認でき散策できました。