仏坂観音で心安らぐ参拝を。
仏坂観音の特徴
仏坂観音は置賜三十三観音霊場の二十番札所です。
御本尊は人馬の安全祈願のための馬頭観世音菩薩です。
急傾斜の参道は高齢者や足腰の弱い方には挑戦的です。
平日の参拝でした。登りが階段ではなく普通の坂道で勾配もそこそこありきつかったです。あと御朱印所の場所が変わっています。元々の御朱印所から見える位置で高学院になっていました。幟が目印です。
道路沿いに参道があります。コンクリートで舗装されていますが、階段ではないので気を付けて行きましょう。御朱印所は少し離れています。思っているより距離がありますのでご注意を。2023.7.1
西置賜郡白鷹町十王にある仏坂観音で、置賜三十三観音霊場第20番札所です。御本尊は馬頭観世音菩薩で、元々は奈良時代の行基作でしたが、幾度の焼失のたびにつくり替えられてきたといい現在の像は江戸時代の作と伝えられます。お堂までは手すりが整備されているものの、結構な坂を上りますのでご注意を。有り難く、”馬頭観音”の御朱印を頂きました。(大聖院にて拝受)
仏坂観音は置賜三十三観音の二十番札所でもあります令和元年5月からは御開帳です観音堂は県道17号線沿いから上り坂を登った場所にあります坂は急傾斜で、石段でないのでご年配の方や足腰の弱い方にはキツイかもしれませんこの先の道路からパレス松風の方向に向かう林道がありましてその道を行くとこの坂を上らず観音堂へと行けるようですけど細い無舗装で一車線の道ですしあまりお勧めはできません御本尊は《馬頭観世音菩薩》で山形へ向う狐越峠沿いの場所に人馬の安全祈願のため祀られたとされているようです駐車場は道路向かいに広くありバスでもらくらく停めれますが横断はカーブなのでご注意を!御朱印所は車でも5分位かかる〈大聖院〉にあって、ご住職がニコニコ対応して下さいました限定オマケも頂きラッキーです。
近道があったので、辛い思いしなくて良かった。
林の中でひっそりと祀られています。 天台宗 馬頭観音菩薩。
| 名前 |
仏坂観音 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0238-32-2929 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~17:00 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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仏坂観音の創建は保安年間(1120年~1124年)に開かれたのが始まりと伝えられています。康永四年(1345年)に伊達氏第七代当主伊達行朝が観音堂を再建し寛文五年(1665年)に堂宇の再建が行われていまがその後享和元年(1801年)の最上騒動(お家騒動)により堂宇を再度焼失したため、その後享和二年(1802年)に宝形造り十七尺四方の観音堂が再建されていています現在の観音堂は昭和四十二年(1967年)の豪雪で倒壊した後の平成十九年(2007年)に再建された建物になります、宝形造り銅板葺き正面一間の向拝付きの屋根で頂きに露盤と擬宝珠を載せる、桁行二間の梁間二間の建物で正面に一間の格子窓付きの引き戸を設けています。観音堂の御本尊は保安年間(1120年~1124年))に大仏師運慶に新像を刻ませ、行基菩薩御作の「馬頭観世音菩薩像」を胎内仏として納め彫刻した像と伝わっていましたが江戸時代に焼失したため改めて彫刻された像になります。仏坂観音堂境内は白鷹と山形を結ぶ街道沿いにあり馬の守護神である馬頭観世音菩薩像を祀っていたことから、牛馬の仕事に関わる人達から信仰の対象となり旧七月十日の縁日には正装した馬と共に多くの参拝者が訪れたと伝わり、養蚕が盛んになると養蚕の守護神として信仰されるようになりました。別当寺院であった「宝珠山十王印」の創建は永享二年(1430年)に清英法印によって開かれたのが始まりとされ、その後の天保元年(1573年)に再興されています。出羽三山の羽黒山寂光院派に属していた事から修験道の拠点として繁栄していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令と修験道廃止令などにより「法珠山十王院」を改めて「法珠山積善寺」となりましたが次第に衰微して廃寺となってしまいました。