高野山 六時の鐘の美しい響き。
六時の鐘(六時鐘楼)の特徴
六時の鐘は、石川五右衛門が道具を隠した由緒ある場所です。
鑑賞前には、大塔の鐘とも時を告げる鐘を聴けます。
福島正則公建立の鐘は、偶数時に鳴り続けています。
金剛峯寺の正門の左横にあり、鐘の音がキレイなので一度は聞くことをオススメします。朝6時〜夜22時まで、偶数時に時刻を知らせているそうです。1618年に建立された鐘楼とのことです。
江戸時代に当時の安芸広島城主であった福島正則が父母追善のために建立した鐘楼現存するのは息子である正利が再建したもの。
金剛峯寺前の用水路沿いにある。たまたま鐘をついてる音で気付きました。
金剛峯寺前駐車場の道路を渡ったところに、高い石垣にある鐘楼で、福島正則が建立したとのこと。午前6時より午後10時までの偶数時に時刻を知らせているとのこと。
看板だけ撮ってきました。豊臣家の家臣、福島正則氏による父母のための鐘だそうです。
この六時の鐘の石垣の隙間には石川五右衛門が盗みに使うための道具を隠しているとかいないとか⁇朝6時前に鐘が鳴り始め6時に終わりました。
高野山出発前、ちょうどバス停の前だったので、タイミングよく鐘の音が聴けました。自動でつかれるようです。雪景色の中で、水墨画のようですな。
高野山には今も現役で時を告げる鐘が二ヶ所あります、壇上伽藍にある大塔の鐘(高野四郎)ともう一つが壇上伽藍から少し離れた六時の鐘です。午前六時から鐘を撞き始めるのが鐘楼堂の名の由来で、午前六時から午後二十二時までの間の時間帯で偶数時のみ高野山内に時を刻む鐘音を響かせています。現在は人が鐘を撞くのでは無く、自動鐘打機で鐘を撞いています。高い石垣の上に建つ鐘楼は、徳川幕府に使えた戦国武将の福島正則が父母の追福菩提を祈って元和四年(1618年)に建立した鐘楼です。建立間もない寛永七年(1640年)に火災で焼失したため、福島正則の子である福島正利が寛永十二年(1645年)に再建した、現在高野山にある鐘楼はこの再建された鐘楼になります。
石川五右衛門が、盗みに入ったに隠したとされる鎹があります。ここにもお金が?なんででしょうか? お金がなければもっと鎹をきちんと見れるのに、と思ってしまいます!
| 名前 |
六時の鐘(六時鐘楼) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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福島正則が父母の追善菩提のために元和四年(1618)建立、寛永七年(1640)焼失、寛永十二年(1645)正則の子、正利によって再鋳されたそうです。