住吉大社系の古社、止止呂支比売命神社。
止止呂支比賣命神社(若松神社)の特徴
南海電鉄高野線・沢ノ町駅から徒歩5分でアクセス良好です。
止杼侶支比賣命神社は住吉大社の摂社として深い歴史があります。
境内は整備が行き届いていて、散策に適した雰囲気です。
来訪日:2024年10月28日初めての来訪です。南海高野線「沢ノ町」駅から徒歩2分ほど。大きな道路沿いにあります。「トドロキヒメミコト神社」地元の人たちが入れ替わり立ち替わりお参りされていました。地元の人に慕われている神社だと感じました。手水は、近寄ると自動的に水が出る仕組みになっており、おどろきました。
南海電鉄高野線・沢ノ町駅近くにある神社。住吉大社の摂社であることを示す独特の構造の本殿は、電車の車窓からでもよく見えます。大相撲春場所を控え、境内には高田川部屋が設営されていました。力士「わかまる君」の像も飾られ、普段とは少し違う雰囲気になっています。
沢ノ町駅すぐの神社。素戔嗚尊とその配偶者である稲田姫尊が祀られております。境内は割と広くど真ん中に御神木が立ってます。
南海高野線沢ノ町駅から歩いて5分程度のところにある神社。創建年代不詳ながら、延喜式(805年)に既にその名があったとのことで、その記載に従えば、1000年以上の歴史を持つ神社である。社号は、当時、境内の池に架かっていた橋の名に由来するとのことで、住吉大社の摂社であったという。若松神社の名は、承久3年(1221年)の後鳥羽上皇行幸の際の故事に由来するとのこと。市中の神社ながら、静かな雰囲気とやや広く感じる境内が良かった。
延喜式内の古社にして仝神名帳には止杼侶支比賣命神社とある古来真住吉国の氏神として斎き奉っている御創立の年代は不詳と有るが住吉大社の摂社としての歴史があり住吉大社と関係が深いようだ。浪華住吉の豪族津守一族の勢力を含め承久三年に後鳥羽上皇が討幕軍を起こし兵を集め、上皇は当社に国家安泰御武運の 長久を祈らせた。この御所の名称により若松神社と呼ばれる事となったと推測される。若松神社の文献に記されている。
かつて住吉大社の境外摂社とも言われ、創建の歴史は古い様です。ご近所の方々に親しまれているお宮さんで初夏の祭りは子供たちの楽しそうな姿が印象的です。
境内は綺麗に整備されています。手水がちょろっとしか出てこなくてあきらめようとしたら勢いよく出てきました。後でわかったのですがエコな仕様だったのです。毎日更新されているFacebookが興味深いです。2018/10/14 再参拝手水は相変わらずエコ仕様でした。いい感じです。今日はお宮参りにこられている方々がいて、ほのぼのとした雰囲気でよかったです。
(17/09/13)止止呂支比賣命神社(神社名の墨書はオリジナル御朱印帳のみです)霰松原荒神社御朱印をいただきました。オリジナル御朱印帳があります。境内に駐車場あり。南海高野線:沢ノ町駅直ぐ。
| 名前 |
止止呂支比賣命神社(若松神社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
06-6671-0443 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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止止呂支比売命神社(とどろきひめみことじんじゃ)。大阪府大阪市住吉区沢之町。式内社(小)、旧村社。主祭神:素盞嗚尊 稻田姫尊境内末社式内小社 天水分豊浦命神社(あめのみくまりとようらのみことじんじゃ) 祭神:三宝荒神資料によると、本来の祭神は「雷神」と思われ、それより起つた名と考えられている。社名のトドロキとは当時の境内にあった橋の名前から由来していると考えられる。また、稲田姫を『止止呂支比売』(トドロキヒメ)と呼んだことから由来する説や境内に流れていた小川がせせらぐ音、『轟く』(トドロキ)から転訛したことが由来とする説もある。この地にはかって轟池があり、現在でも南、西、北は一段と低くなつており、昔の堀、池の跡を示している。延喜式内の古社にして仝神名帳には止杼侶支比賣命神社とあり、古来真住吉国の氏神として斎き奉る、御創立の年代は不詳である。承久三年に後鳥羽上皇が討幕軍を起こし給はんと熊野詣でに名をかりて、浪華住吉の豪族津守一族の勢力並に大和河内の兵をも集め にならんと墨江の里に行幸される時に当社の松林中に若松御所を造営し行宮として渡御し、上皇は当社に国家安泰御武運の 長久を祈らせた。 この御所の名称により若松神社と呼ばれる事となったと推測される。もと住吉大社の摂社であったが、明治5(1872)大社摂社より独立した。とあります。