朱塗りの二天門で歴史散策。
浅草寺 二天門の特徴
・浅草寺二天門は慶安2年(1649)創建の重要文化財で三棟造の奈良時代様式です。
・持国天と増長天の二天が門に奉納され、浅草寺の東側に位置しています。
・二天門からはスカイツリーを眺められ、静かな東門の景色が楽しめます。
浅草寺本堂の東に建つ朱塗りの鮮やかな二天門。当初は、境内にあった東照宮の随身門として建てられたと伝えられています。随身門とは、神社を守護する神さまを配置した門のこと。当時は、神道の神さまである豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の守護神像が左右に祀られていました。しかし、1868年(明治元年)に明治政府が発令した神仏分離令により、仏教寺院である浅草寺には、この2柱の神さまの像を祀ることができなくなりました。そこで、浅草寺はこの2柱の像を浅草神社に遷座し、代わりに鎌倉の鶴岡八幡宮にあった仏教の守護神である広目天(こうもくてん)と持国天(じこくてん)の像を二天門に安置。これに伴い、正式名称が随身門から二天門に変更されました。その後、第二次世界大戦により2柱の像は焼失。現在は、上野の寛永寺(かんえいじ)の四代将軍徳川家綱霊廟にあった持国天と増長天(ぞうちょうてん)の像が祀られています。持国天と増長天は、四天王と呼ばれる仏さまとして知られていますが、四天王は仏教の守護神であることから武装した姿。どちらも、鎌倉時代以降に流行した複数の木材を組み合わせる技法「寄木造」により造られています。
浅草寺境内の東側に位置する門。もとは寺内にあった東照宮参拝のためにつくられた門ですが、江戸初期の建築当時の姿を現在に伝える貴重な文化財です。以前、こちらは雷門に比べて人も少なく、仲見世の混雑を避けるには便利な出入口だったのですが、最近のインバウンド客の増加で様子が一変しました。旗を持ったツアーコンダクターに引導された外国人観光客の団体が切れ目なく通り、大変な賑わいになっています。
浅草寺二天門重要文化財(建造物)指定:昭和21年11月29日浅草寺は長い歴史の中で何度も被災し、江戸初期の寛永年間にも2度伽藍が焼失しています。そのため、寛永13年(1636)には、寺内にあった東照宮が江戸城紅葉山に遷座されました。二天門は、その東照宮随身門と伝わり、創建は元和4年(1618)ですが、現存するものは慶安2年(1649)頃の建築と考えられます。明治初年、神仏分離令によって随身像は、仏教を守護する四天王のうち東方と南方の守護者である広目天・持国天の二天像が鶴岡八幡宮から奉納され、門の名も二天門と改称されました。二天門は木柄が太く重厚な建物で、桁行8.13m、八脚門、切妻造、本瓦葺、三棟造みつむねづくりという形式です。三棟造とは、門の前方間と後方間のそれぞれに三角形に組んだ屋根型の天井を設け、本来の大屋根の棟と併せて棟が3本あるように見えることから、このように呼ばれます。近世においては、旧台徳院霊廟惣門(寛永9年(1632)・港区)など徳川幕府と関連のある建物に多く見られる形式です。また、全体に赤色塗装がされていますが、柱など軸部は黒みがかった赤のベンガラ漆塗り、組物や軒廻りは明るいオレンジ色の丹塗りに塗り分けられているのが特徴です。(東京都教育庁地域教育支援部管理課HPより)
重要文化財。現在の門は、2007年から2年かけて大修復が為され、慶安2年(1649)建立当時の姿を取り戻したそうです。
お台場から水上バスで浅草に。推しのライブが浅草劇場であったのでいそいで雷門から行けずこちらから通りました。人力車のフォトスポットになってたのをYouTuberで見てたので😅通った時も写真撮られてました📷なかなか綺麗な門です😃
二天門の奥に浅草寺が見えます。夜のライトアップが綺麗です。
左に増長天、右に持国天、二体の仏教の守護神が置かれています。国指定重要文化財です。
浅草寺は初詣客でごった返しですし、雷門も同じ感じですが、奥浅草側から入る二天門は静けさすら感じるほどで、ここから入るのがお勧め。
持国天(右)・増長天(左)の二天が奉納されて二天門浅草寺の東門。
| 名前 |
浅草寺 二天門 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3842-0181 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~18:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
馬道通りから行くとこの門から浅草寺の境内に入ることになります。他の入り口に比べて比較的混んでいません。