紀元前12年の神秘、玉造稲荷。
玉造稲荷神社の特徴
地下鉄玉造駅から北へ300メートル、アクセス良好な立地です。
垂仁天皇の時代に創建された歴史深い神社です。
大阪城からも近くて、観光にも最適なスポットです。
聖徳太子の縁の場所をと訪れたら、ここ大阪城の三の丸でもって豊臣秀頼公と淀殿の胞衣が納められているなんて!びっくりしました。そして、地名の玉造。やはり、勾玉の産地だったんですね。色々嬉しかったです。
鵲森宮から徒歩圏内です。日本書紀に記された玉のふるさとで由緒・歴史ある神社です。横に広がった社殿が美しく見処もたくさんあります。狐様の意匠のお守りや勾玉のも可愛いです。
かわいいお守りが欲しくて参拝させていただきました。住宅街の中にある神社鳥居が埋まってました。
垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されたとされるかなり古い神社主祭神 - 宇迦之御魂大神相殿神 - 下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命恋キツネの神社としても親しまれています。恋キツネは、境内にある白い狐像で、縁結びや復縁の象徴として親しまれています。近年では、若い女性を中心に「恋愛運が上がる神社」「縁結びスポット」として注目を集めています。特に桜の季節に是非デートに訪れてほしいスポです☺️豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。1576年の戦火で荒廃してしまっていたが、1603年に豊臣秀頼により社殿や高殿(舞台)が再建された。しかし、1615年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失した。1619年、江戸幕府の大坂城代内藤信正や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、1789年、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。豊臣時代に引き続いて徳川時代も大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。豊臣秀頼公銅像が平成23年10月13日に建立・除幕式が行われた。大阪城の方向に向いており、心が締めつけられます😢
24時間参拝できるそう。静かで荘厳な雰囲気のある神社です。
たまに訪れる神社です。秀頼座像や阪神大震災で破損した歴史のある鳥居等、見所たくさんあります!
玉造稲荷神社は大阪城のすぐ南に鎮座し、紀元前12年創建と伝わる歴史ある神社で、五穀豊穣のほか、子孫繁栄、縁結び、夫婦円満など、多様なご利益で知られています。豊臣秀吉による経済的支援を受け、大阪城の鎮守神としても崇敬されています。古代には「玉作岡」と呼ばれた勾玉作り集団が居住していた場所に位置し、現在の地名の由来ともなっているようです。参拝後は社務所にて御朱印を書いていただきました。
【玉造稲荷神社】玉造稲荷神社は大阪市中央区にある、紀元前12年創建と伝わる歴史ある神社です。豊臣秀頼によって再建され、大阪城の鎮守としても信仰を集めました。主祭神は宇迦之御魂大神で、商売繁盛・縁結び・安産など多くのご利益があります。境内の「恋キツネ絵馬」や「縁結び守」が人気で、静かな雰囲気とともに癒やされるパワースポットです。アクセスも便利で、森ノ宮駅・玉造駅から徒歩約5分です。【玉造稲荷神社】〒540-0004大阪府大阪市中央区玉造2丁目3−8
阪神大震災によって被災した鳥居があり、笑いを大切にと記された秋田實笑魂碑もある。色々と考えさせられる神社。
| 名前 |
玉造稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
06-6941-3821 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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2026.06.30多くの稲荷神社は京都の「伏見稲荷大社」の分霊を祀っていますが、当神社は古くから独自の「五幸稲荷大明神」として崇敬されてきた特別な神社です。祀られている神様(宇迦之御魂大神、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命)も、すべて女神であることから、かつては「比売社」とも呼ばれていて、縁結びや子宝、女性の願いに御利益があるとされています。豊臣・徳川時代では「大坂城の鎮守神」として崇められた由緒ある古刹です。豊臣秀頼公、寄進の石鳥居は慶長8年3月に建立された後、大坂夏の陣と第2次世界大戦の戦禍を経て、1995年の阪神淡路大震災で基礎が損壊したため、境内北側に上半部と脚部が分かれて保存されています。2011年には現在の大阪城築城80周年を記念して豊臣秀頼公の銅像が造られ、本殿と大阪城天守閣を望むように建立されました。また聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願したという伝承があったり、千利休の屋敷があったことから茶の湯に愛用したとされる井戸の跡や千利休居士顕彰碑などがあり、見所がたくさんあります。古代まで遡ると勾玉作り発祥の地でもあり「玉造」という地名や社名も「玉作部」が由来になっているようです。