住宅街の中の隠れた公園。
西袋陣屋跡の特徴
住宅街にある隠れた公園で、自然を感じられます。
開かれた場所で子どもたちが遊ぶのに最適なスポットです。
家族でのんびり過ごせる、アットホームな雰囲気が魅力です。
昔の陣屋後らしいですが面影はなく草が延び放題広さ的にはよし、ベンチがもう少し有れば最高です❗
住宅街にいきなり、開かれた公園。方向的にはヨネックスの会社の後ろ側。行くときはちょっと狭い路地をくねくねいきます。広い敷地には、遊具はすべり台とブランコとシーソーみたいななつがあり、ストレッチポールみたいのがありました。山になっている場所があるので、足腰鍛えるにはいいかも。トイレは和式。水飲み場や、テーブルありました。昔ゲートボールやるとこだったのか?っていう敷地あり、テニスやってる方がいましたね。やりやすそうでした。ネットは、ありませんが、、、草、茂りすぎですね。(笑)あえて、しげらせてるのかな。お山にはあまり草なかったので。
| 名前 |
西袋陣屋跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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遺構としての評価。この手のものがお好きな人が近くに来たら立ち寄ると良いでしょう。訪れた際、偶然、この土地を所有されていた親族の方にお話を伺えました。公園横の立派なお家辺りまでが敷地だったようです。遺構は堀や土塁と思われるものが遺っています。周囲の水路が掘りの名残だそう。水路の水は綾瀬川に流れ込むそうです。なお、公園にある目立つ高まり部分は遺構ではなく、所有されてた方がゴルフ練習かなにかのために土を盛った跡だそう。以下、説明板より---この地は古くから陣屋と呼ばれてきました。陣屋とは江戸時代の幕府の代官所、または出張所が置かれた所で、西袋の陣屋の由来は、代官頭(関東郡代)伊那備前守忠次の家臣興津良次が、ここに陣屋を構えたためと言われています。この周辺には、馬場、幕口、大門という地名も並んでいたと言われ、良次は、後北条氏の家臣であったとも伝えられることから、中世の館跡であった可能性もあります。興津氏は、その後、曽根姓を名乗り、幕臣として江戸へ移り、その跡に、西袋村名主小澤家の一族が移り住み小澤家は代々陣屋の屋号で呼ばれてきました。陣屋遺跡は南北に長い長方形で、文化十年(1813年)の西袋村絵図を見ると、全周する構え堀と中央やや北よりに陣屋内を南北に区画する堀があり、構え堀の外側にも細い堀が二重堀を形成していました。また、陣屋の鬼門に位置する氷川神社周辺からは、古墳時代初期の土器なども出土しています。