海軍の歴史を感じる、第二河和航空隊跡。
旧第二河和海軍航空隊正門跡の特徴
かつての海軍基地があった歴史的な場所です。
第二河和海軍航空隊の正門跡が保存されています。
太平洋戦争中の訓練航空隊としての役割を持つ史跡です。
学校の隣、人知れずかつての海軍の基地がここにあったことを教えてくれる。ささやかながら当時の先人に思いを馳せる事ができる貴重な遺跡。英霊に感謝!
河和中学校の校舎中庭には、高射砲を防御するためのコンクリドームが現存しており、今では焼却炉として利用されている。海軍航空兵学校があった当時の記録では、山本五十六が視察に来た事もあったらしい。
先の大戦ではこの地も海軍の基地があったという歴史です。
| 名前 |
旧第二河和海軍航空隊正門跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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【旧第二河和海軍航空隊正門跡】第二河和海軍航空隊は、太平洋戦争中の昭和19年(1944)4月に水上機の操縦訓練技術を養成する練習航空隊として開隊しました。昭和18年から飛行機の整備教育を行った第一河和海軍航空隊と併せて、河和から豊丘までの1.8kmの用地が接収されました。特に、旧古布・旧浦戸の集落は、航空隊の用地内となり集団移転を余儀なくされました。この正門は、上部が欠損していますが、高さ160cm、縦 57cm、横91cmあり、コンタリ第二河和海軍航空隊施設凶コンクリートブロックを積み上げて全体をコンクリートで塗る方法で造られています。正門を入った射擊場北側には、兵舎や病院などがありました。また、現国道247号線の海側には司令部や土官舎がありました。昭和20年7月30日、アメリカ軍機の機銃掃射により、この門周辺で多数の戦死者を出しました。