かつての曲輪の状況は分かりません。
当社は、北斗山金剛授寺尊光院(現千葉神社)の主祭神 「北辰妙見尊星王(妙見菩薩・明治元年神仏分離令後に天之御中主大神)」の分霊が祀られています。
北極星・北斗七星が神格化した妙見菩薩は、平安時代後期 (十二世紀前半) から下総国を治めていた桓武平氏支流の「千葉氏・臼井氏」が、一族の守護神として代々崇敬していました。
鎌倉時代中期 (十三世紀中頃)には、臼井氏の一族が「山無氏(山梨氏)」を称して、山梨地域を治めていました(『神代本千葉系図』)。
その後、千葉氏宗家重臣として仕え、戦国時代中期 (十六世紀前半)には千葉氏当主・千葉介昌胤三男の政胤が、「月見里氏」を称して当城に居城したと伝わっています(後の江戸幕府野馬奉行綿貫氏・『四街道町史』)。
当社は、戦国時代初期の明応元年 創建と伝わり、山梨氏月見里氏一族の氏社であったと考えられています。
【現地案内板より抜粋】山梨城跡として立ち寄り。
周囲の土塁や空堀は見事な物で、周辺の雰囲気と相まって、心湧き踊ります。
小さいながらも2メートル位の深さの空堀、土塁がはっきりと分かる。
この保存状態はかなり奇跡的だと思います。
残ってる規模は小さいけど、小さいなりにきちんと残っているのが素敵すぎる。
月見里と書いて、やまなしと読む、よくある難読漢字の件。
小さな城だったのかなぁ?当時は大きく立派だったのでしょう!
名前 |
山梨城 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
土塁や堀が道路や宅地などの造成によって崩されているので、かつての曲輪の状況は分かりません。
ただ、神社(旧妙見社)を取り囲む土塁の高さは1~2メートル程度、堀の深さも1~2メートルあり、それなりに見応えはあります。
台地の突端とは言えない位置なので台地上を通る交通路に注目した居館だったのかもしれません。