【東金新海道】というらしい。
江戸時代に徳川家康の指示で東金御成街道を吶喊工事で作る際に、夜に提灯を用いて直線を出すのに使ったとの言伝えが残る塚。
鎌池踏切近くの焼塚からの道は今でもほぼ一直線で、この長さの直線道路は本州ではかなり珍しい。
元々は道を挟んで二つ在ったが片方は削られた。
残りの一つも少々削られた様子。
焼塚と共に一里塚を兼ねるが、焼塚と提灯塚、提灯塚と一つ先の一里塚とも道程が本来の一里より一割以上長く、昔は「そこ一里」や「ばか一里」と呼ばれ、小林一茶の句に「早稲の香や東上総のばか一里」とも詠まれた。
現在は公園の隅に在る。
周辺の往来が激しい割に道も狭く、昔から上下起伏も激しい鼻付坂の難所でもあり、今でも車で通るには少々危険。
良いよぉ〜!
名前 |
提灯塚 |
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ジャンル |
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住所 |
〒264-0002 千葉県千葉市若葉区千城台東3丁目39−1 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
江戸時代当時のこの街道の呼び名は、【東金新海道】というらしい。
これは既にあった古道〔東金街道〕に対して、新しく建設する道という意味合いで命名されたようだ。
その名称に「街」ではなく「海」を使用している理由は不明だが、恐らく街道と呼ぶには余りにも人里離れた淋しい土地を通っていた事、また、道の行きつく先が海(九十九里浜)であった事があるのかもしれない。