確かにこれだと空からは飛行機を隠せる。
「どら焼き?」太平洋戦争における軍都茂原を象徴する遺構です。
アメリカ軍が本土上陸を果たす場合の予想地点として、有力候補の一つに遠浅の九十九里浜が挙げられていました。
一方の日本軍は上陸したところを迎撃するため、千葉県にはここ茂原を始め、香取、木更津、館山などに多くの軍基地が設置されました。
当時の茂原基地は、ここから南に広がっており、現在は工業団地となっています。
掩体壕は基地の周囲に複数現存しているようですが、ここの他は私有されているようです。
ここを訪問した際、同じく見学に来た地元の方とお話する機会があったのですが、その方が小さい時に「隣の家のおばあちゃんから、戦争中に茂原基地を離着陸するゼロ戦をよく見ていた、という話を聞いていた」との事でした。
ある日、帰還するゼロ戦隊に煙を吹いた機体があったらしく、遠くまで黒い煙がよく見えたと共に、周囲がとてもガソリン臭かった、とおばあちゃんが話していたそうです。
人伝えではありますが、地元のリアルで貴重な体験談を聞けて、何だか嬉しくなっちゃいました。
尚、茂原は戦争遺構が結構残っており、外房線を挟んだ西側の長尾や腰当、本納などの丘陵地帯には、全長数百メートルに及ぶかなり大規模な地下壕が幾つもあります。
海軍らしく、突貫工事の割には意匠に手が込んでいるそうです。
全く人の手が入っていないので危険ではありますが、廃墟好きの方やオブローダーの方は是非!(但し自己責任です)
道のすぐそばにあるのでわかりやすい場所にあります。
鉄骨がむき出しになっているところがあり、対策は取っているのかも知れませんが保存状態がちょっと心配。
腰当交差点から進行して、最初の信号機を右折すると、80mの左側にあります。
知らないと通り過ぎてしまいます。
車を停めて、右折して来た交差点方向を見ると、掩体壕(えんたいごう)の大きな穴が見えます。
建設当時の状況や様子が説明された、茂原市の説明板があります。
比較的に保存状態がよく、道路からも見学しやすいです。
他にも、数ヵ所の掩体壕がありますが、民有地として返還されていて見学がしにくい場所で、ここがおすすめポイントになります。
普通の住宅街の入り口にありますが、住宅街のを通り抜ける道はないようで、「この先行き止まり」の看板がありました。
腰当交差点の西側に、ここの飛行機に出撃命令を出していたと言われる「茂原海軍航空隊長尾司令部地下壕跡」がありますが、かなり離れているので、迎撃に向かう機体は見えなかったと思われます。
滑走路からもかなり離れた場所にあり、さすがのB-29の上空からは判らない場所にあり、無傷で残っていると思われます。
飛行機の車庫は、あっても肝心の迎撃用の飛行機が無くなった戦争末期を思うと、物量作戦に負けたことを実感させる、戦争遺跡です。
これからも、茂原市は、戦争遺跡として、大切に保存されることお願いします。
千葉県茂原市にある掩体壕群のなかで茂原市が展示している掩体壕はひとつだけで他は空き地や個人のお宅の中にあります。
こちらの掩体壕は茂原市が展示している唯一のものです。
他は主に個人の敷地の中にあり一部は住宅地で駐車場兼倉庫として利用されたり畑で倉庫として利用されたり放棄されているものもあり廃墟化しているものもありました。
こちらの掩体壕は通りに面した道路のそばにありすぐにでも見つけることができるでしょう。
掩体壕の場所を知らせる看板も2ヶ所にありました。
第二次大戦の遺構です。
70年前ここ茂原市には、海軍航空隊の基地があり、日立のブラウン管や東芝の真空管を作る軍需工場が発展しました。
その軍需工場は現在、ジャパンディスプレイの工場に発展し海外勢とせめぎ合って居ます。
戦争では全てを失い敗戦しましたが、戦争で培った技術と生き残った人々は、必死に民需産業で働き、日本を復興させました。
茂原市で製造が発達したのも、70年前の海軍隊の基地の恩恵です。
市内に直線道路が多いのは、滑走路や基地の名残です。
すぐ近くにもう1つありますが、こちらがとても見やすいです。
上に草が生えていて 空から見にくいようにカモフラージュされていたのがうかがえます。
太平洋戦争中に作られた航空機を敵の襲撃から守るための施設です。
九十九里浜沿岸の地域に多く見られます。
現存するのは、茂原市と旭市、匝瑳市です。
両市ともに太平洋戦争中に、海軍の航空基地が建設されました。
戦局の悪化にともない、アメリカ軍が九十九里浜に上陸することも想定されたからです。
その備えとして、旭市や茂原市に海軍の航空基地が作られました。
その周囲に航空機を隠すために掩体壕が作られました。
コンクリート製ですが、戦後70年以上経っても残り、倉庫としても使えそうな感じです。
海軍航空隊の遺跡茂原には11基現存しているようですが中には個人の敷地内にありトラクターの車庫がわりに使われたりしてるのもありますが国が史跡保存とかして欲しいですね。
茂原掩体壕巡りとか楽しいですよ。
えんたいごうと読みます。
戦時中に戦闘機を敵機から攻撃されないように保管していました。
掩体壕からさほど遠くないところには、役目を終えた滑走路が、今では長い直線の一般道として人や車輛が往来しています。
近隣では常に花壇が手入れされ、季節の花が咲き、こころが和みます。
戦争当時、掩体壕の近くに住まれてた方々の『平和』を願う強い気持ちが今、花となって咲き誇っているかのようです。
二度と戦争が起きない事を祈るばかりです。
近くにもまだまだいくつもの掩体壕が残されてます。
名前 |
掩体壕 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
飛行機を格納してたんだ。
若い人命が散ったのかな!れいわ4年ですが、尊い命の上で今があることを痛感させられます。