急遽茂原のこの地に航空隊が作られた。
「えんたいごう」と読みます。
戦争史跡の一つであると思いますよ。
この地にあった「海軍茂原基地」に戦闘機をアメリカ軍の偵察機や爆撃に備える、言わば「飛行機の車庫」です。
ふつうに、住宅街の入り口の通り道にあります。
73年間よく保存されていると思います。
ここから、引っ張り出して、サイパン島から飛来するB-29を撃墜したか・・・と思うと、感慨深い思いでした。
古くからの、付近の住民の方々には、嫌な思い出を呼び起こす場所かも知れませんが、後世のためにも必要な場所ですので、見学に行っても大目に見ていただきたい。
特別な駐車場は、ありませんので迷惑駐車にならないようにしてくださいね。
九十九里から東京へ向かうB-29の編隊を撃滅する為、急遽茂原のこの地に航空隊が作られた。
252部隊は凄腕のパイロットが集められ最新鋭のゼロ戦でB-29に立ち向かった。
歴史は浅いが当時周辺住民から学生までが動員され急ピッチで工事が進められ信じられない速さで完成したという。
ゼロ戦を守る為に作られた掩体壕は当時沢山作られたようだが資料で確認できたのは11基で現存しているのは9基らしい。
終戦後も住民は壊すことなく農具をしまう倉庫として利用しているものもある。
非常に綺麗な状態で残っている貴重な戦跡。
この辺りに点在する掩体壕海軍航空機格納庫で上から見たらただの丘や草地にしか見えません。
市?が管理していて詳細が書かれているのはここしか知りませんがここから徒歩10分以内に数個あります。
茂原市内には10個以上現存しているようです。
史跡巡りしてみるのも良いと思いますよ。
柵に囲まれて、ソーラーパネルにも囲まれて近づけないため見えにくいです徒歩で前まで行くのですが、夏は道が草だらけで歩くのもちょっとサンダルとかだときつそうですすぐ近くにもう一つ見やすいのがあります。
今は、コンクリート剥き出しだが、昔は土が被って草が生えていた。
上空から見え難いようにしていた訳だ。
戦後物置として使われたところが多く、ここも藁などが積まれていた。
なかには住居として使われていたところもあり、民間の所有となっている。
ここも民有地。
因みに、有線電話があった。
東郷村の航空隊跡地は、大字東郷となっている。
当時は、東郷という大字はなかった。
簡単な資料が美術館郷土資料館でもらえる。
かときんさんのホームページの残跡にも詳しい。
ソーラーパネルに囲まれている。
完全に邪魔者扱いされている感じ。
Googleナビでは、前まで行けると言ってきますが、手前の橋が細く、渡れません。
渡れても、行き止まりなので、気を付けてください。
名前 |
掩体壕 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
2019.02.16茂原周辺には掩体壕(えんたいごう)が複数残っています。