名前 |
深川城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
4103 |
住所 |
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評価 |
3.0 |
室町時代中期に大内持世の家臣で長門国深川の代官だった鷲頭弘忠が長門守護代に任じられ、居城として築いたとされています。
鷲頭氏は大内氏の庶流ですが、建武の新政時には後醍醐天皇より大内氏に代わって周防国守護に任じられたり、建武政権崩壊後も足利尊氏に取り入りその地位を維持。
観応の擾乱の時代には北朝・南朝から大内氏・鷲頭氏がそれぞれ周防国守護に任じられるなど両家は対立していましたが、大内弘世の攻勢を受け大内氏に従属する様になります。
大内氏11代・盛見の頃に鷲頭氏は長門国深川に代官として遣わされいます。
1410年に鷲頭弘忠は大寧寺を創建。
また1432年には大内氏12代・持世に厚く信頼され長門守護代にまで任命されて、深川城を築城。
両家は良好な関係にありました。
しかし鷲頭弘忠と仲が悪かった大内氏13代・教弘が後を継ぐと、1446年に守護代の任を解かれました。
大内教弘の侵攻を予見した鷲頭弘忠は深川城の周囲に亀山城や堅田城など支城を築き備えましたが、1448年に攻め落とされました。
弘忠は討死、鷲頭氏の一族郎党も討ち取られました。
鷲頭弘忠の墓は彼の創建した大寧寺に在ります。