名前 |
八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
治承四年(一一八〇年)源頼朝は、平家討伐の兵を挙げたが、相洲石橋山の戦いに敗れ、旧臣安西景益を頼り海路安房に逃れた。
同年九月三日、 鴨川貝渚の民家に宿泊したおり、土地の豪族長狭六郎常件の夜襲にあい、 網元の仁右衛門が小島にかくまったという仁右衛門島の伝説がある。
同年九月十三日、部下の和田義盛を上総の豪族、平広常の許に援軍を請うため遣わしたがこれに応ぜず。
同村に広常の一子、長南太郎重常が居住していると聞き密かに人を遣わし、八幡宮(佐坪八幡宮は地方稀に見る古社であり源氏崇敬の武神でもある)に白旗一流を献じ、武運長久を祈り重常宅に赴き父広常を説き、源氏再興に援軍を申し込む。
広常は重常に説得され兵二万騎を率いて加勢し、隅田川で源氏軍と合流する。
尚、鴨川には頼朝が和田義盛を待ちわびた所という待崎、その時源氏の白旗を掛けたと言う旗掛けの松(現在は枯死し古株は、ほこらに安置されている)等多くの伝説が残っている。
又、佐坪字古御所、御天谷津は長南 太郎重常の居住の旧跡と言われている。
【現地案内板より抜粋】予期せず、興味深い由来のあるお社に巡り会えました。
手水舎から始まり、拝殿・本殿全てに見事な彫刻が見られます。
また境内を囲う巨木林も、荘厳な雰囲気を高めています。