菰野町 菰野 |
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名前 |
伊勢浜松蔵の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
三滝川右岸南、柳原共同墓地内に石碑が建立されていて、石碑、碑周り等綺麗に維持・管理されています。
※伊勢濱松蔵について資料を引用しご紹介します。
【伊勢濱松蔵】伊勢濱松蔵は天保14年(1843)9月14日、菰野の宮大工の家に生まれた。
若い頃から草相撲の力士であったが、伊勢国の相撲頭取伊勢浜の名称を継ぎ、南は鈴鹿から、三重、朝明、員弁の相撲界を取り仕切った。
明治31年(1900)東京相撲協会の高砂浦五郎から「伊勢浜」目代の許状が授与された。
明治33年(1900)には、大阪相撲協会の取締三保関周蔵の名で「伊勢浜松蔵相撲目代免許」のお墨付きを受けた。
この東西相撲協会の公認目代職は、地方相撲協会では権威があって、祭礼の草相撲開にも、目代の名で土俵を築き、四本柱を立てることが許された。
明治40年(1907)10月・・・池底村(現・菰野町)の秋祭りの奉納相撲に頭取として若者門弟力士22名を従えて花相撲をしている。
この年は潤田村(現・菰野町)の祭礼、櫻村の稲荷神社の祭礼(明治40年1月)にも出場している。
伊勢濱松蔵は、明治41年(1908)9月死没。
享年66歳であった。