どこやねん(´・д・`)
どこやねん(´・д・`)?
伊勢湾道と第二東名の豊田JTCの工事により発掘がスタートした、比較的新しい遺跡です。
ここの塚自体は古墳時代の円墳です。
といいつつ元々はここから南30mのところにあったのですが、第二東名の工事でここに移設されています。
また、この近隣一帯は縄文~奈良時代の集落跡があり、竪穴住居跡167軒(単位は軒でいいのでしょうか?)、掘立柱住居60軒などが見つかっています。
三味線塚の頂上部分には、内部の埋葬構造の実物大図があり、どのような状態で埋葬されたのか、よく解ります。
復元された古墳になります。
此の地域の遺跡についての説明など有ります。
豊田市指定史跡。
古くから地元の人々に親しまれてきた古墳で発掘された主要部分の粘土郭は郷土資料館に保管してあるとのことです。
(展示はされていません。
)現物が無いので何かのついでにちょっと立ち寄って看板を見て…といったところでしょうか。
看板には公園と書かれていますがお子さんが遊ぶ感じではないように思います。
三味線塚古墳の名前の由来昔貴人のお姫様をここへ葬ったところ、雨の夜にこの塚から三味線の音が聞こえるという話が広まって三味線塚と呼ばれるようになったとのこと。
古墳の上に埋葬?とか三味線ってお姫様が弾くような楽器だったっけ?とかいろいろ不思議な都市伝説です。
※追記調べてみると2004年発行の鴛鴨町誌に三味線塚哀話の詳しい話が載っていました。
鴛鴨城主松平親康の家臣中尾忠明を父に、箏曲の名手であった女観世を母に持つ娘、玉音は幼くして両親を亡くし、預けられた草庵で親譲りの三弦の修行に励んで育つ。
一方、戦いに備え三河の国に入り野営していた武田勝頼は玉音が奏でる三弦の音に感じ入り、野営の屯所へ召された玉音の身の上話に思慕の情を抱き…続きは鴛鴨町誌90ページから!鴛鴨の人々が太古のロマンに惹かれて古墳に親しんでいたのかと思っていましたが、ロマンはロマンでも薄幸の少女と若き大将の儚いラブロマンスの舞台としてだったようです。
同書には村人は古墳と知らずに三弦を塚に葬って六本の松を植えたとあります。
愛され古墳どころか存在すら知られていなかったという…。
この塚を息を止めて三回まわると三味線の音が聞こえるとかこの松の枝を切ると自分の家が火事になると言い伝えがあるそうです。
ラブロマンスとオカルト、とことん親しまれていることは間違いなさそう。
三味線塚古墳に関しては豊田市郷土資料館編(2001)『三味線塚古墳 (豊田市埋蔵文化財発掘調査報告書)』が発行されています。
豊田市中央図書館をはじめ上郷交流館、末野原交流館などでも貸出可。
鴛鴨町誌作成委員会編(2004)『鴛鴨町誌』も同じく中央図書館、上郷、末野原交流館などで貸出可。
名前 |
神明遺跡台地公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
小さな丘の公園。