名前 |
パン祖の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
江川坦庵〈ひだたつ〉先生(江川太郎左衛門とも呼称される)をパン祖として賛美する碑【パン祖江川坦庵先生邸】と碑には記されている■なぜパンを製造した?外国との戦争について対策が必要と考えていた中の一つとして”兵糧の確保”があった。
旧来の兵糧丸等ではなく西洋列強に比肩するために”保存のできるパン”を焼き兵糧とすることを考えた。
長崎でオランダ屋敷の料理方として仕え、パンも作っていた”作太郎”がいたが、その作太郎が江戸に来たことを知って、韮山に呼び寄せ手代の柏木忠俊にその製造法を学ばせた。
作太郎は江川邸で”パン窯の作り方”、”パンの焼き方”を実演し伝えた。
その結果1842年4月12日に【兵糧パン】の第1号が製造された。
これを元に現代においてはこの日を【パンの日】としている。
パンと並び戦争の道具として大砲や銃を製造していたためその製造や扱い(砲術)について学びにきた若者が、砲術と合わせパン製造を身に付けたことから、パン製造は広まっていった。