この上流に造船所あった為に作ったみたいですが〜その...
前から気になってての訪問です♪建設当時、この上流に造船所あった為に作ったみたいですが〜その造船所廃業⁉️でずっと動いて無いみたいです。
当時は時間で動かす予定だったのか⁉️スケジュールみたいなヤツ発見しました😆まあでも今は首都高とモノレールは地下トンネルで通過してますので、今後使う事無さそうですかね⁉️動いてるところ見てみたいです🙏サビ目立ちましたので、今後は廃れる一方かなぁ⁉️なんて事無いですが〜見るなら今のうちにって思いました。
ここが可動橋になったのは木村プレス工業所と書いてある辺りに造船所があったためです。
そこには大型のクレーン船など船高の大きな特殊船舶がしばしば出入りしていました。
その造船所も可動橋が作られて僅か数年後に廃業して、以後は無用の長物と化したわけです。
再度動くことがあるかもしれないという話が出ています。
私も動いているところは見たことが無いので一度見てみたいものです。
尚、周辺のことをもう少し書いておきます。
今は新呑川河口部分から海岸部にかけて公園になっていますが、以前は堤防部分まですべて大森一中の敷地内でした。
ここを通れる道もありませんでした。
建て替えられた大森一中の先代校舎は全国で初の鉄筋コンクリート製防音校舎でした。
旧A滑走路が運用されていた当時はほぼ頭の上を離着陸機が通過する状況でした。
防音校舎完成前は飛行機が通る度に授業は中断というありさまだったようです。
それよりも更に古く、中学校校舎の東側にあるガラス屋根らしき建物の辺りには戦時中の高射砲陣地跡が存在したとのこと。
昭和30年代後半まであったようですが、私は見た覚えがありません。
乗り物ニュースを見て興味がでて見に行ってみました。
いずれ羽田トンネル補修の際に使う事も議論されているとか。
ここはチヌ釣りのポイント。
7年間住んでランニングコースにして居たがこの可動橋が繋がってるのを見たことは一度もなかった。
浄水場の排水口でありちょっと臭いです。
海老取川の河口付近にある、かつて使われていた可動橋。
遺構や廃道が好きならぜひ訪れてみてください。
公衆トイレも近くにあります。
今、ほんのちょっと話題の可動橋。
もしかしたら、一時的に動かす話が出ています。
行ってみたら、思っていたのと少し違った。
思ったより、橋の幅が狭い。
それと、旋回部分で駆動摺るのではなく、端の方で駆動しているようにみえます。
見た目からの推測ですが。
交通手段は、色々有りますが平和島などの駅からバスが行きやすいですか。
かっこいい構造物です。
これで東京横浜の交通を制御しようとしてたのだろうか。
無謀だ!!!今は使われてないということで税金のかなりの無駄遣い。
川崎方面から品川方面にこれを超えると海風、小波が立ちます。
カヤックの場合注意です。
もう使われてません。
釣り場。
羽田トンネルの補修には使うんだろう😄まぁ、その際は湾岸線に迂回するべきやけど😃
近くへは、徒歩か自転車で行くことができます。
航空写真で見ると、橋の南側、路面の文字が本来とは逆の向きに描かれているのが気になる。
どういった目的だろう。
もうこの橋は、あまり使っていない?見たいですね。
天皇陛下が羽田空港に行く時に使った見たい何ですけど。
😄
動くと聞いてびっくりしました。
こういうのを「無駄だ」とか言う奴よりは無駄じゃなかった物。
もう動かない可動橋。
撤去される前に観るべき。
都内にこんな可動橋があったなんてびっくり。
ここに知らずに行ったら何だろうか?と思うはずです。
何も案内や説明がありません。
大きな都市遺構。
自転車での訪問がおすすめです。
この近辺は明治大正の頃に森ヶ崎鉱泉として賑わったそうですが、今は駅から離れていることもあり、かなり鄙びた街並みです。
羽田可動橋1998年まで使われていた高速道路湾岸線ができて、いらなくなった。
横に首都高1号線のトンネルが出来ている。
壊すのに費用がかかるので、そのまま放置。
実働8年は、短いですがこの可動橋は、当時湾岸線開通前で横羽線羽田付近の慢性渋滞を緩和させる為に造られた、珍しい可動橋です。
可動橋である理由は、現在は、不明ですが、当時橋の奥に製鉄所があった為に、船の通行を妨げない為に可動橋で建設されたようです。
高速道路では一瞬で通過してしまう場所、知らない方も多くいると思います、この場所を違う目線で届けました。
羽田可動橋は海老取川河口に架かる首都高速道路羽田線の橋梁。
珍しい旋回構造の橋である。
1990年4月羽田可動橋使用開始、1994年湾岸線が開通して交通量が減少、1998年4月羽田可動橋使用停止。
首都高空港西入口から上り方面に入る車が危険なトンネルを使用しないで済むように迂回路として羽田可動橋が設けられた。
1994年の湾岸線開通後もしばらく使用されたが、交通量の減少などから、開通8年後の1998年に使用停止となった。
海老取川沿いには鉄工所などがあり大型船の航路を確保する必要があった。
羽田線が海老取川を水底トンネルで潜っているのもこのためである。
近接する従来の羽田線羽田トンネルや東京モノレールのトンネルとの兼ね合いから隣接したトンネルの設置が困難であり、空港に隣接しているので吊り橋や斜張橋など高さのある橋の設置も出来なかった。
そこで、国内でも例の少ない旋回橋方式での可動橋としての建設が決まった。
羽田トンネル1964年8月開通首都高速道路羽田線起点 大田区大森南5丁目終点 大田区羽田空港1丁目構造 沈埋トンネル海老取川の川底に巨大な箱を沈めて建設された。
2012年12月中央自動車道笹子トンネル天井板崩落事故を受け天井板を撤去した。
1964年8月首都高羽田線の鈴ヶ森出入口から空港出入口、現空港西出入口への延伸に伴い開通した。
片側2車線、制限速度は60km/h。
トンネルなので危険物積載車両は通行禁止である。
1994年の湾岸線開通までは東京都心と横浜方面を結ぶメインルートであった。
このため交通集中とその勾配により頻繁に渋滞が発生していた。
1990年から1998年まで渋滞緩和策として空港西上り入口、旧称空港入口から羽田トンネルに並行して昭和島JCTに抜ける羽田可動橋が使用された。
開通に至る経緯海老取川には当初橋を架ける計画だったが羽田空港の管制官から「離着陸の妨げになる」とクレームが付きトンネルを掘削する計画に変更された。
トンネル掘削には約2年間海老取川を堰止める必要があったため、地元の糀谷漁協の漁師たちが「海苔養殖に影響が出る」と猛反発し工事事務所を占拠するなどの騒ぎを起こした。
こうした騒動を受けて1日で済むトンネル工法として海抜0m地帯が多いオランダのトンネル建設で採用実例を持つ巨大な箱を水底に沈める「沈埋工法」の採用が決まりトンネルの完成に至った。
羽田トンネルに使用された沈埋函(ケーソン)は石川島播磨重工業、現・IHIが建造した。
完成されたケーソンを建設区間内の指定位置に埋設する作業は深田サルベージ、現・深田サルベージ建設が担った。
名前 |
羽田可動橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
周辺のオススメ
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橋の断面が横から見えて面白かった。