名前 |
松平定良墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
西桑名西方線沿い、アートスぺ-ス美園さん北に位置。
墓地内に説明板が建立されていましたので引用しご紹介します。
【松平定良公霊廟(まつだいらさだよしこうれいびょう)附 養仙院殿墓(ようせいいんでんはか)】市指定史跡 昭和四十一年十一月二十二日指定桑名藩六代目の藩主松平定良は明暦二年(1658)に病となり、有馬温泉で治療しましたが翌年桑名への帰路京都で客死しました。
二十六歳の若さでした。
定良は日蓮宗を信仰したため、松平家の菩提寺照源寺(浄土宗)とは別に一寺を建て、法名の〈光徳院円妙日法」から円妙寺と号しました。
周囲の三基は殉死者の墓です。
養仙院は、京極丹後守高広の娘で伊予松山藩主松平定頼に嫁ぎます。
定頼と養仙院の三男定重が定良の養子となり、桑名の七代藩主となったため、桑名に葬れました。
平成二十六年三月 桑名市教育委員会と、なってます。