御朱印は対応出来ないとの事後日、頂きました。
こじんまりとしつつ静かな神社です。
御朱印を神社入って左手にある社務所においてお受けすることが出来ます。
立派な神社です。
所有の建物内では合気道も教えているのだとか。
稲荷神社には狐さんだけじゃなく狸さんも鎮座しておられます。
今日(7/4)じゅん散歩で紹介されました!平和を祈願🕊池上通り沿いにあります。
今日は寒さと雨雪の為か、誰もおらず重厚感が更に増していました。
いつもは賑やかな感想を持っています。
今度は隣のお寺さんにも伺いたいと思います☺
大森駅から結構近い山王にある日枝神社です。
元々は私的なお社だったのですが圓能寺が別当になり、明治の神仏分離で村社となったそうです。
面積は小さいですが本殿の他に稲荷社や神楽殿もあり、社務所も立派です。
山王の森の中にあります。
快適な散歩道です。
稲荷の右奥に、庚申塔があります。
狸も可愛い!
ここの地名をとって神社の名前にしたなどという無茶苦茶を書いている人がいますが、当然逆で、この神社があったから地名が山王になったものです。
また日枝神社、日吉神社、山王神社の総本山は滋賀の坂本、比叡山にある日吉大社なのは常識です。
赤坂でも川越でもありません。
日枝というのも元々比叡山の比叡が転じたものです。
大森駅の近くにあるちょっと小さめな神社。
境内は、駅のそばとは思えないくらい落ち着いた感じがします。
ここの地名を神社の名前にしています。
日枝神社の左の奥に稲荷神社があります。
日枝神社の始まりは赤坂の日枝神社と思われている方が多いかもしれませんが、川越の日枝神社が最初です。
川越の日枝神社はとても小さいのでなんでここが?と不思議に思ってしまうほどです。
正月三が日は忙しい為、御朱印は対応出来ないとの事後日、頂きました。
JR大森駅から徒歩10分内。
大田区山王という地名の由来。
御祭神大己貴命(ニギハヤヒ)大山昨命(おおやまくい)昔は、山王権現と呼ばれ、今でも山王様と呼ばれて親しまれている。
創建年代不詳。
新井宿村 名主酒井権左衛門の邸内社だった。
中世 酒井氏が山王信仰の総本社近江国「日吉大社」より勧請した。
「日吉大社」は、滋賀県大津市坂本にあり全国に約2000社日吉神社・日枝神社・山王神社の総本社。
平安京の表鬼門に鎮座し比叡山の地主神とされ崇敬を集めた。
通称は、山王権現:猿を神使とする。
また、日枝の山とは比叡山のこと。
崇神天皇7年に日枝山から現在の坂本に移されたと言う。
世界大戦後は、日吉大社を正式名称としている。
明治元年より大森山王日枝神社と改称された。
ここからは、ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究者 藤島氏による見解です。
山王様は、アジア全域を護る最強の神様ウガヤフキアエズだった!この神様こそ「お釈迦様」と同神。
アジア最強の存在であり、しかも物部氏の天敵であることが分かってきました。
隠された山王様のルーツ元々比叡山には、「山王様」が祀られていました。
ですから、比叡山u003d日枝神社u003d日吉神社u003d山王権現u003d山王様u003d大山咋神(おおやまくいのかみ)です。
ところが、応神天皇の時代に、この山王様を比叡山の頂から麓に下ろして、三輪山の大物主と入れ替えたのが天台宗始祖最澄という中国からの帰化人でした。
応神天皇は、宮中から天照大神を追い出したり、出雲から御神剣を奪ったりして日本の古神道を破壊し、その子孫が物部氏なのです。
つまり最澄と応神天皇は、グル。
「古事記」新羅出身の物部氏。
「日本書紀」百済出身の藤原氏。
これらの記述に山王様が登場しない理由が見えます。
戦国期、比叡山を焼き討ちし弾圧したのは物部系織田信長で、逆に厚く保護したのが徳川家ご意見番天海僧正でした。
天海僧正は、江戸幕府の守護神として、赤坂日枝神社を建立し、最澄の「山王u003d大物主」という解釈を改め「山王u003d実神道」という新たな思想つまり「山王神とは、大日如来であり天照大神である。
」と説きました。
これは、本来の古神道である山王信仰復活させたといえます。
また、示す申(猿)とした漢字神,も山王様から発したと言われています。
これらの事から考察しても、偉大なる我が国の神様を密かにお祀りしていることが伺えます。
御祭神は、大山咋命・大己貴命。
日枝神社は元々、この地域の名主であった酒井氏の邸内社であったとのこと。
ここは、善慶寺に墓がある義民六人衆の大祭パレードの出発地点にもなっています。
義民六人衆の内の一人は、この酒井一族の一人となっています。
参拝に行くと、手水舎には綺麗な水が湛えられています。
平日は手水舎の水が張られていない神社が増えて来ていますが、これからも気持ち良く参拝出来るような所であって欲しいです。
例大祭には神楽殿にて神楽舞の奉演があります。
小ぢんまりした神社ですが、大森山王の地名の由来となった神社とのこと。
御朱印を記帳いただいたのは、お年の女性の方でした。
時間がかかり申し訳ありませんということでしたが、一字一字丁寧に書いていただき、しっかりした字の立派な御朱印をちょうだいしました。
御祭神は大山咋命・大己貴命。
はじめは新井宿村の名主・酒井権左衛門の屋敷神として山王権現または山王社と呼ばれました。
延宝5(1677)年,領主・木原義永の暴政と過酷な年貢の取り立てに耐えかね,村人達のために死を賭して幕府に直訴しようと図った酒井権左衛門ら新井宿の義民六人衆でしたが,密告により領主の木原に捕らえられ,斬首されてしまいました。
以来,隣にある成田山圓能寺が別当となりましたが,明治元(1868)年,神仏分離令によって独立し日枝(ひえ)神社と改称,現在の社殿は昭和35(1960)年のものです。
なお,鎮座している大田区「山王」の地名の由来はこの神社名からだそうです。
大森駅に近く,人通り車通りの激しい道路に面しているにも関わらず,鳥居から一歩入れば,都会とは別世界の静かな御神域がありました。
重厚な社殿は彫刻も素晴らしく,昭和20年に米軍機による焼夷弾無差別爆撃で焼失した社殿ですが,戦後の時代にこれだけの社殿。
氏子の方々の再建の熱意がいかほどのものだったか,よく分かります。
境内は決して広くはありませんが,境内社として栄利稲荷神社と山王稲荷神社が,金剛像や狸像,庚申塔などがあります。
例大祭でも御朱印を頂けた神社。
社務所は普段、土日と木曜日がお休み。
開設時間は午前中のみ。
例大祭時でも延長は15時まで。
書き手はご年配の女性でした。
一筆毎、丁寧にお書き下さいますが、かなりの負担でなので、大勢での訪問は避けましょう。
例大祭でも御朱印を頂けた神社。
社務所は普段、土日と木曜日がお休み。
開設時間は午前中のみ。
例大祭時でも延長は15時まで。
書き手はご年配の女性でした。
一筆毎、丁寧にお書き下さいますが、かなりの負担でなので、大勢での訪問は避けましょう。
大森駅の近くにある静かな社です。
ここだけぱっきりと空間が切り取られたようなしっとりとした神社でした。
境内は鬱蒼として…すごい湿度。
日当たりが悪くて一面ゼニゴケが生えていますが嫌な感じは全然ないです。
何気ないとこにキノコまで生えていました。
めっちゃ蚊にくわれましたが。
神社の向かいにはNTTデータのすんごいでっかいビル。
たぶん中身は最先端なデジタル。
そのビルの陰には大森貝塚。
太古の人々が貝を食べた場所。
そこを東海道線がばっつり。
明治の人々が死に物狂いで通した品川横浜の線路です。
いつからここにいるのか存じません。
この先何がここに起きるかも存じません。
でもこれからも末永くこのエリアを見守っていってほしいものです。
神楽殿の前の大樹は欅でしょうか!立派な幹膚です。
幹線道路に面しているにもかかわらず、静かで落ち着いた佇まい。
大森山王に、古くからある村の守り神様です。
地域の中心となる憩いの場所です。
皆で守っていきたいものです。
名前 |
大森山王日枝神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3771-1916 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
旧村社 大森山王日枝神社 詣旧東海道脇にある旧村社です。
大森駅の近くには大森神社がありますが、そちらより敷地は広いです。
御朱印は直接書いていただけたので、御利益が少し増えたような気分です。
ありがとうございました!(2022年9月3日参拝)