このポンプ井戸の他に大井の井と言う井戸もあります。
友人のお墓参りで伺いました昔は港に入る目印になったと言う大銀杏がありますまた、このポンプ井戸の他に大井の井と言う井戸もあります。
叔母のお墓があります。
あの大銀杏の木を目印に海から船が帰って来ていたと祖父母から聞いていましま大きな大銀杏大切です😁
平和を祈願🕊浄土真宗の様ですが、私は無宗教なので訪問させて頂きました。
あまり大きくは無いですが重厚感があります。
本堂のすぐ横が墓地なので、沢山の人に見られている感じが何とも。
お近くに寄ったら是非足を運んで下さいね☺
実家の菩提寺です🎵コロナが下火になったのでお墓参りに行きました。
檀家です。
いつも綺麗にして頂いて助かってます。
義父の菩提寺で命日なので、墓参に行きました。
浄土真宗、境内の大銀杏は、昔直ぐ下が海で、漁師の目印となってました。
又、大井の語源となった井戸(諸説有り)が墓地の奥にあります!広くは無いですが、趣のある寺です!
共用トイレ昼なのに使えず。
歴史のあるお寺で鐘つき堂、大銀杏は地元でも有名です。
境内に大きなイチョウの木がある、雰囲気のよいお寺。
本堂裏の墓地には「大井の井」といわれる井戸があり、このあたりの地名である「大井」は、この井戸に由来するといわれています。
大井山光福寺。
浄土真宗系単立の寺院で御本尊は阿弥陀如来。
本堂裏にある大井の井は大井の地名の由来とも言われている。
浄土真宗の寺院です。
境内に入るととても大きな銀杏の木があります。
品川区指定の天然記念物に指定されています。
住職一家の人柄が良くて落ち着く。
樹齢800年の銀杏が見事圧巻の一言につきる枝を切ってあっても存在感が圧倒的。
最低なお寺ですよ‼️😭
大きな銀杏の木が象徴的です。
全国で寺号を「光福寺」と称しているお寺さんはとても多く、いろいろな資料をザックリ拾っても89寺あります。
その内訳は、関東地方に20寺、近畿地方に19寺、九州地方に14寺、中国地方に13寺、甲信越地方に7寺、北陸地方に7寺、東海地方に4寺、四国地方に3寺、東北地方に1寺、北海道地方に1寺になります。
東北地方の1寺は、福島県会津若松市高野町にある真言宗豊山派の光福寺ですが、東北6県の歴史と寺院数に照らし合わせても、余りにも少ないのが不思議に思えました。
一方、京都府にある安国寺の旧称は光福寺でしたが、室町幕府から改称を余儀なくされているようなケースもありますから、実態はもう少し多いのかもしれません。
また、御本尊は阿弥陀如来が多いですね。
先の安国寺の御本尊は釈迦三尊坐像ですが。
品川区大井6丁目の光福寺は由緒ある古刹で、創建当初は神宮寺と称した天台宗でしたが、文永2年(1265)に了海上人が再興してから浄土真宗となったと伝えられ、大井山(たいせいざん)光福寺に改称されています。
御本尊は阿弥陀如来です。
斎藤月岑(げっしん)著、長谷川雪旦(せったん)画『江戸名所図会』巻之二(天璇之部/てんせんのぶ)の大井山弘福寺(弘は光の誤植)の項には、「西光寺より一丁ばかり西南にあり。
当寺も、鸞師(親鸞1173-1262)の弘法(ぐほう/仏法を広めることの意)にして、本尊阿弥陀如来の像は、聖徳太子の作なりといへり。
このところは麻布山善福寺の中興了海上人誕生の旧跡なり。
当寺にも、桜の老樹ありて春時奇観たり。
了海上人産生湯の井(寺の後園にあり。
)少しばかりの丘の下にて、横穴の泉なり。
横へ入ること深くして、はかりしらずという。
また、当寺に大井というもあり。
村名を大井というも、この井より起こるとなり。
略 」と記されています。
文中の聖徳太子の作は信じがたいですが、麻布十番にある善福寺との関係、横穴井戸の存在、あるいは桜(銀杏の間違いでは)の老樹ありて、村名を大井という、などは符号するところ多々ありますね。
歴史散歩にご興味ある方のお出掛けをお勧め致します。
大きな木があるが、それだけ。
だいぶ落ち着いた雰囲気だが、何か物足りない感が否めない。
名前 |
光福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3771-5895 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
トップ画像が奈良の興福寺なのはどうかと。
(正確には興福寺の伽藍の南円堂)他にも同様のケースが多数あり、Googleに報告しても対応されたことは未だにない。
区の史跡や天然記念物になっている井戸やイチョウと比べると少し影の薄さがあるが古刹の風格は備わっていると思う。
また、境内の至る所に愛嬌のある顔立ちの石仏が設置されている。
和やかな雰囲気を出すのに繋がっているようだ。