浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀三尊。
浄土宗大金山宝幢院光明寺 / / / .
懐かしいです。
子供の頃に学校から、帰ってきたら、凧糸と煮干でアメリカザリガニ取りに夢中になり。
落ちた池で、オマケにガチョウに追いかけまわされた、いろいろな、思い出が残ってる、池です。
昔より建て増しなどして立派になってますが、トイレ等がなく不便です! 子供の頃に遊んだ池も周りがフェンスで囲まれていて 見ることさえ出来ません。
何か冷たいお寺っていう感じです(〃⌒ー⌒〃)ゞ
大金山宝幢院光明寺。
浄土宗鎮西派の寺院。
御本尊は阿弥陀三尊。
環八の開通を最後まで妨げていたと思われがちな寺院。
実際は塗装屋の方が最後だったかと。
池には水が湧き出る所があったかと思いましたが、今でも湧いているのでしょうか?
法事で世話になることはあるが、住職の法話にまとまりがなく何を言いたいのがわからないまま終わる。
あれでは無為に時間だけを費やすことになり、何一つとして得られるものがない。
話題があちこちに飛ぶ典型的な話し下手なので、一度話法の勉強を勧めたい。
東急線下丸子駅に近い、やや小高い高台にあります。
この寺院には、この一帯に勢力を持っていた江戸氏と支流蒲田氏一族の江戸高重のものと伝えられる墳墓があります。
南北朝時代に新田義興公を騙し討ちにした張本人である江戸遠江守又はその嫡男と目されている人物です。
江戸高重の墳墓が、矢口の渡しにほど近いこの地にあるのはおそらく偶然ではありません。
太平記によれば、江戸遠江守は甥と共に、義興公を討った恩賞の地に向かう途中で落雷により落馬して狂死したとあります。
この寺の雷留観音堂というお堂には、雷火を避けた霊験ある観音立像があり、それが江戸氏が逃げた辻堂であると新編武蔵風土記稿が伝えています。
私は太平記の江戸遠江守と、江戸遠江守とされる江戸長門と子の高重の間で情報の錯綜と混同があると思います。
恩賞地は現在の武蔵中原駅の南(子母口)だったと推察できますので、ここの真西になります。
『此より二十余町(矢口渡から2〜3km)ある上の瀬へ馬を早め』とありますので、上流のガス橋付近の萩原瀬(平間の渡し)或いは丸子の渡しから渡河しようと試みる途中で遭難したと考えると、この寺に担ぎ込まれたまま死亡したと推理することもできます。
私は謀殺された新田方の子孫ですので、外から見ただけで足を踏み入れたことは一度もありません。
寺院。
この部分の環八通りが長年開通しなかったのは、光明寺のせい。
地代を釣り上げに釣り上げて相場の3倍にしてやっとで国に土地を売却。
それから暫くは贅沢三昧だったが、最近じゃお布施も少なくなって経営が苦しい、お金を貸してくれないか、だと?自業自得だよ、青木君。
名前 |
浄土宗大金山宝幢院光明寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3750-6241 |
住所 |
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関連サイト |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%98%8E%E5%AF%BA_(%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8C%BA) |
評価 |
3.7 |
境内に多摩川の流路跡と考えられる池がありますが、外から見ることはできません。
新編武蔵風土記稿によればこの池の中より終南大師善導和尚の像が出現したと伝わっています。
善導は浄土五祖のうち第三祖にあたる中国の僧侶で、大師にちなみ一時期山号を終南山と称していたようです。
下丸子駅前にある道標にも「終南山」とあります。