遺言により、当地に葬られた海舟夫妻。
勝海舟夫妻の墓【大田区指定史跡】 / / .
すごいと思う。
単独にお墓があって(霊園ではなく)花も活けてもらって、夫婦で入って、富士山の見えるばしょで、こんなに死後恵まれている人はいないのでは内科と思う。
幕末明治の偉人、勝海舟とその妻の墓。
周りは非常に自然豊かな場所でもある。
駅からは少し歩くことになるが、それほど苦では無い。
池を一周廻るような感覚で見て回るのが良いかもしれない。
神社や鳥をたくさん見れるので、幸せな空気も広がりそう。
洗足池のほとり近くに勝海舟夫妻のお墓があります。
墓地は大田区の指定史跡として文化財になっています。
東急池上線の洗足池駅から徒歩10分も掛らない距離で、洗足池公園の横に位置します。
そこの案内板によれば、海舟は生前から風光明媚なこの地が気に入っていたようで、明治24年には土地を取得して「千束軒」と称した別邸を設けるほどでした。
その傍に自分の墓までも用意していたのです。
千束軒は後の戦災で 焼失してしまい、現在は大田区立第六中学校が建っています。
海舟の人となりは、幕末史・回想録・小説・雑誌・映画・テレビドラマ・漫画・アニメ等で広く知られているところですが、その人物像の捉え方は様々で、そこには主題に沿ったデフォルメ(誇張・変形)もありますから、その辺の先入観や偏りを割引く必要があるかもしれませんね。
万延元年(1860年)に咸臨丸でともに渡米した福沢諭吉が、明治10年(1877年)の西南戦争後に脱稿した『痩我慢の説』では、「勝海舟は講和論者であって、江戸城を開城し、内乱を避けた功績は認めるにしても、幕府に対する痩我慢の情がなかった・・・一時的な戦乱を回避したということと、何世代にも渡る精神や気概を損なったことと、その功罪は埋め合わせがつくことなのでしょうか。
」と非難しています。
そういう見方もあったのですね。
また、海舟の回想録『氷川清話』と『海舟座談』で、維新に奔走した人々の評価や時代の変遷を知ることに興味が注がれますね。
海舟は、明治32年(1899年)1月19日に赤坂氷川の本宅で亡くなりました。
死因は脳溢血とされています。
享年77歳。
妻(民子)は、海舟没後から6年経った明治38年(1905年)に亡くなったのですが、遺言で「海舟の側に埋めてくれるな」としているために青山墓地に葬られました。
海舟には妾が5人とも8人とも居たと言われるほどで、実際、赤坂氷川の邸宅では妾も同居していたのですから、この遺言も理解できますね。
納得です。
しかし、その後に事情はわかりませんが、遺言に反して孫の判断により洗足池の墓地に移されているのです。
五輪塔の形で二基並ぶ墓は静かに洗足池と向き合っています。
この墓地は大田区の管理があるお陰なのか常に手入れが行き届いた状態です。
海舟の遺徳に触れながら明治維新の人々を偲んでいただけたらと思います。
お出掛けをお勧めいたします。
洗足池公園内に在り、勝海舟の遺言により、ここに、お墓が造られ妻・民子の墓と一緒に並んでいる。
勝が1868年、西郷隆盛の本陣が置かれていた池上本門寺に行く途中、立ち寄った洗足池の風景に感動したからと云われている。
勝は池上本門寺で西郷隆盛と「江戸城の無血開城」について会談し、江戸幕府の終焉と江戸の戦火を免れることになる。
大田区の洗足池の側にある勝海舟夫妻の墓。
晩年をこちらで過ごされたご夫妻は、きっとこの地がお気に入りだったのでしょう。
西郷隆盛翁との関わりを持つ石碑なども周りにありました。
夜に訪れた為、あまり詳しくは見れなかったです。
また明るい時間に再訪したいです。
遺言により、当地に葬られた海舟夫妻。
西郷隆盛と、幕府の降伏条件について田町の薩摩藩邸で交渉した後、帰り道に当地の茶屋に立ち寄って休息。
その時に気に入ったのだろう、池畔に別邸「洗足軒」を建てた、という縁だそうです。
幕末好きは、墨田区の両国公園にある「生誕の地」と合わせてご訪問を。
勝 海舟「行いは己のもの批判は他人のもの知ったことではない」「事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ才走ってはうまくいかない」「生業に貴賤はないけど生き方に貴賤があるねえ」「学者になる学問は容易なるも 無学になる学問は困難なり」
名前 |
勝海舟夫妻の墓【大田区指定史跡】 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3777-1070 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/yukigaya_senzoku/katsukaishuu_bosho.html |
評価 |
4.1 |
手入れの行き届いた墓所。
人生終焉の地で安らかに眠っておられるわけだが、奥様は最後まで同じ墓に入ることに抵抗されていたことを思うと、やや複雑な気もしないではない。
後世の我々は、有難たがってお参りをするわけだが、「男なんてどうしようもない生き物」と草葉の陰から小言を言われている様な気もする。
英雄色を好むとは言うものの、あれだけの仕事をこなしながらよく女性に気が回せるものだと、違う意味で偉大な人物であると感服する。