これぞ武田流築城術の真骨頂!
ここは、武田勝頼が築いた山城だそうですが、深い堀が何重にもなっていたり、馬出が奥まった位置で、敵から狙われないようになっていたりで、城というよりは、前線基地という感じでした。
当時の様子がわかるように、復元されていたり、地形を残していたり・・・ご苦労されているおかげで、当時の様子を想像することができます!
出入口を固める巨大な「丸馬出し」(写真参照)が周囲を取り囲み、これぞ武田流築城術の真骨頂! と城郭マニアからも極めて評価の高い城でした・・。
「でした」と言うのは最新の発掘調査・資料分析によると、どうやら武田氏時代の諏訪原城は本丸と二の丸の南側一部にすぎず、この城最大の目玉である正面の丸馬出しまで構築した訳ではないことが分かってきたからです。
(写真参照)じゃあ、武田流築城術の代名詞とも言える「丸馬出し」を設置したのは一体誰なの??。
ハイ、それは「熱狂的」武田信玄ファンである、徳川家康の仕業に他なりません(笑)。
家康は三方ヶ原の戦いで徹底的にブチのめされた「天敵」である信玄を生涯尊敬し続け、その生き方を人生の指針としていた実に面白い人なのです。
まぁ天才的な上杉謙信や織田信長よりも、堅実な信玄の方がずっと参考になったのでしょう。
ワタシが約15年前に来た時は二の丸はまだ茶畑で、樹木が遺構全体に覆い被さって形状がよく分からない状態だったので、今回現場を見た時は本当に驚きました。
キレイに周辺の木やヤブが切り払われ、名物の(?)丸馬出しの規模の大きさや空堀の深さが一目瞭然になってる!! いや、もう「素晴らしい」の一言。
さらには雄大な富士山まで、城から望めるようになりました。
ところで古来より大井川が駿河国と遠江の国境線となってきたのですが、この城は駿河を支配下に置いた武田軍が川を越えた遠江側の敵地に築いた「橋頭堡」でした。
城の前を通る国道1号線は、かつての「東海道」であり、侵攻のための補給兵站拠点として必要不可欠な要地につくられたのです。
敵地の中で孤立した場所にあり緊急時には川を越えて救援に行くのが難しいので、周りを武田軍得意の「丸馬出し」でガッチガチに固めて徳川家康の来襲に備えた、と言うのが今までの解釈でした。
しかし武田氏時代には無かったとすると「攻撃は最大の防御」で、「どうせ、あの小僧は攻めてこないだろう」と甘く見ていたのかもしれません。
実際に家康が失地奪還に動くのは信玄亡き後の勝頼の時代になってからで、「長篠の戦い」で大敗した武田軍が動きが取れない時を狙って行われました。
1ヶ月ほどの攻城戦の後に城を手に入れた家康は喜び「牧之原城」に名前を改めた、とされていますが、現在は城内の諏訪神社にちなんで名付けられたという武田氏時代の「諏訪原城」の表記の方が一般的なようです。
どうやら勝頼の再侵攻に備えて家康が大規模改修を加えたのが現在の姿で、臆面もなく敵の武田流築城術を「丸パクリ」したところは、いかにも家康ですねぇ(笑)。
勝頼が見たらびっくりした事でしょう。
この辺りの「良いものは何でも取り入れる」姿勢が、「天下人」になる秘訣なのかも。
詳しい話は賢い方に任せるとして。
いやーシンプルに気持ち良い場所だね。
木材チップを巻いてくれていて歩くのも柔らかくて楽だし、管理してる方々の優しさを感じる。
堀なんか写真だと伝わらないが、結構な迫力!富士山も綺麗に見えるので、100名城興味ない方にもオススメ。
🏣静岡県島田市金谷🅿️🚗…有ります(諏訪原城ビジターセンター)※諏訪原城跡は牧之原大地の北端部に近い標高212mから220mの高台に位置する山城。
本曲輪、東側の斜面は断崖絶壁と成っている。
当時の大井川は牧之原大地に沿って流れ、自然地形によって守られている。
※天正元年武田勝頼が家臣の馬場信春に命じて築城された。
城内に諏訪大明神を祀った事から諏訪原城と呼ばれた。
天正3年(1575年)徳川家康によって攻め落とされた。
※現在でも三日月掘と馬出がセットに成った丸馬出や横堀が良好な形状で残っているそうです。
※散策をしてみましたが、素晴らしい山城跡を見学出来ました。
あいにくのお天気で富士山は見られませんでした。
※金谷駅から島田市のコミュニティーバスが平日5往復、休日は3往復されているそうです。
金谷駅から徒歩だと30分程掛かるそうです。
甲斐の武田氏が気づいた城で広大な敷地を持つ山城の『諏訪原城』資料館のビジターセンターのすぐ後ろから歩いて見て回れました。
続百名城になっていて見どころありました!
名前 |
諏訪原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.shimada.shizuoka.jp/institution/list/suwaharavisitor/ |
評価 |
4.3 |
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〈続〉日本百名城の諏訪原城。
天正元年(1573)、武田勝頼が築城し、城内に諏訪大明神を祀ったことから、『諏訪原城』の名がついたとの事。
時計回りにゆっくり歩いて40分くらいで一周できます。