名前 |
芭蕉句碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0073 |
住所 |
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評価 |
5.0 |
梨園の一隅に芭蕉の句碑がありました。
名月の 花かと見えて 綿はたけ はせ越この句は元禄七年(1694年8月15日)芭蕉が伊賀上野の「無名庵」で行われた月見の宴で詠んだ句と言われています。
碑全体が苔で覆われていますので読むのが難しくなっています。
一番左の文字は読めませんでした。
建立は明治28年(1895年)4月はせ越(はせを)は芭蕉が気に入っていた俳号の一つです明治時代には埼玉県全体で綿織物の生産が盛んでした。
当時の野本村でも綿畑が広がり、満月の夜、一面に広がる綿畑には白い花が咲きそろっているかのような景観が目に浮かんできます。
この芭蕉句碑が建立されたのは、日清戦争に勝利し、下関条約によって清国から台湾・朝鮮半島・多額の賠償金を得た時でもあります。
日本中が戦勝気分で狂喜乱舞したと言われています。
そのような時代、この地区からも兵士が出征し軍馬も日清戦争・日露戦争に徴発されています。
句碑建立から130年後の野本地区は綿畑ではなく梨畑に変わっています。
句碑は梨園の一隅の松の木の下にあり、道路からも見えます。
訪れた8月のこの日、辺り一面には梨の甘い香りが漂っていました。
ところで、付近には駐車できる場所がありませんので見学にはご注意下さい。