五島美術館の敷地内にありました。
石碑の裏に説明文あり。
看板と石碑があるだけ。
以下引用 『東京都遺跡地図』によると、古墳の規模は径8m、高さ2mとされており、「中世か近世の塚」とされているようですが、『世田谷区埋蔵文化財調査年報』などに掲載されている野毛古墳群の周辺地図などの最近の資料では、「稲荷丸塚古墳」という名称で掲載されています。
『野毛古墳まつり』の際に、世田谷区の学芸員の先生にお聞きしてみたところでは、この稲荷丸塚は古墳という扱いで良いのではないかというお話でした。
後の大田区立郷土博物館の館長である西岡秀雄氏は1930年代に荏原台古墳群の調査を行っており、かなり詳細に古墳の分布状況を報告していますが、この稲荷丸塚古墳は把握されなかったようです。
当時確認された古墳は(塚も含まれていますが)「西岡第××号古墳」と命名されていましたが、この古墳にはこの名称は付けられていません。
この古墳が所在する「上野毛自然公園」はかつては庭園だったようですから、五島美術館の敷地内に所在する「稲荷丸古墳」と同様に、さすがの西岡氏も確認することが出来なかったのかもしれません。
古墳は現在も、国分寺崖線上の上野毛自然公園内に現状保存されており、いつでも見学することができます。
以下引用『東京都遺跡地図』によると、古墳の規模は径8m、高さ2mとされており、「中世か近世の塚」とされているようですが、『世田谷区埋蔵文化財調査年報』などに掲載されている野毛古墳群の周辺地図などの最近の資料では、「稲荷丸塚古墳」という名称で掲載されています。
『野毛古墳まつり』の際に、世田谷区の学芸員の先生にお聞きしてみたところでは、この稲荷丸塚は古墳という扱いで良いのではないかというお話でした。
後の大田区立郷土博物館の館長である西岡秀雄氏は1930年代に荏原台古墳群の調査を行っており、かなり詳細に古墳の分布状況を報告していますが、この稲荷丸塚古墳は把握されなかったようです。
当時確認された古墳は(塚も含まれていますが)「西岡第××号古墳」と命名されていましたが、この古墳にはこの名称は付けられていません。
この古墳が所在する「上野毛自然公園」はかつては庭園だったようですから、五島美術館の敷地内に所在する「稲荷丸古墳」と同様に、さすがの西岡氏も確認することが出来なかったのかもしれません。
古墳は現在も、国分寺崖線上の上野毛自然公園内に現状保存されており、いつでも見学することができます。
五島美術館の庭園内にあります。
美術館に入れば(入館料千円)庭園も一緒に回れますが、庭園だけの鑑賞もできます(300円)。
古墳は今は木々が鬱蒼とした中にありますが、位置としては国分寺崖線の崖上の見晴らしの良い所です。
現地には説明文はありませんが、発掘調査が行われて、出土品は世田谷区立郷土資料館に展示されているそうです。
五島美術館の庭にあります。
鳥居と低い築山状の中央に古墳の名前があるだけで、説明文はありません。
名前 |
稲荷丸古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
五島美術館の敷地内にありました。