住宅街にあるかなり古い道標(+鳥居)。
住宅街にあるかなり古い道標(+鳥居)。
井の頭公園内にある弁財天の参道だったらしいが、今はその面影全くない。
江戸市中の生活用水として重要だった神田上水の水源にある弁財天ということで、当時は井の頭詣でがかなり盛んでその頃の痕跡を残す貴重な道標(+鳥居)。
みちるるべロードマーカータイプ:重要な宝物指定日:1978年5月8日場所:井の頭三鷹市4-21-1徳川時代(1603-1868)に、井の頭池の水に恵まれた江戸の人々は、愛の女神、知恵、芸術と音楽、幸運と命の恵みの水を信じる信者となりました。
井の頭弁天神社では、巡礼者たちの行列が果てしなく続いていました。
太鼓堂の神舟街道から井の頭弁天神社まで人を案内するために、この道標を含めて石の道標(みちしるべ)が建てられました。
それは神田運河(現在は神田川として知られている)に沿って江戸の繁華街に流れ込んだ水に依存していた多くの人々からの寄付で建てられました。
歌舞伎やジョルリ(人形劇)の劇場、詩人、ミュージシャン、そして裕福な商人の名前など、数人の常連客の名前が石に刻まれています。
この石造りのマーカーは、江戸の娯楽の世界、その金儲け、そして人々の深い信念を垣間見ることができますが、同時に江戸の人々が井の頭池からの水にどれだけ依存していたかを思い出させます。
(原文)Michishirube Road Marker Type: Important Treasure Date of Designation: May 8, 1978 Location: Mitaka City, Inokashira 4-21-1During the Tokugawa period (1603-1868) period, the people of Edo, blessed with water from Inokashira Pond, became sincere believers in the powers of the Benten, the goddess of love, wisdom, arts and music, good fortune and lifegiving water. An unending procession of pilgrims came to worship at the Inokashira Benten Shrine. In order to guide people from the Kōshū Highway at Taikadō to the Inokashira Benten Shrine, stone road markers (michishirube) were erected including this guidepost. It was erected with donations from the many people who depended upon the water that flowed into downtown Edo along the Kanda Canal (now known as the Kanda River). The names of several patrons are inscribed on the stone including names associated with kabuki and jōruri (puppet) theaters, poets, musicians, as well names of rich merchants. This stone marker gives us a glimpse into Edo’s entertainment world, its money-making, and people’s deep-felt religious beliefs, but at the same time it reminds us how dependent the people of Edo were on water from Inokashira Pond.
昔は神田方面から、ここを通って弁財天にお参りに来たようです。
凄い歴史だよね❗
でっかい道標です。
見逃すことはなかったでしょうねえ。
名前 |
井之頭弁財天 道標 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
立派な道標です。