今も湿地を利用した公園となっている。
湿地帯と丘陵の高低差を防御に利用した中世の城。
新宿まで特急で15分の調布にこんだけの城跡公園が残ったのは奇跡に近い。
地元の人の愛着と深大寺のご加護のお陰なのかね…城跡としてはあまりに綺麗に整備されすぎててちょっと味わいが薄い。
散歩コースには良いと思うけど。
植物園から入って5分くらいすると到着した公園としてよく整備されているが土塁や空堀を確認することが出来た発掘した礎石跡も展示されている。
神代植物園の中にありますが無料で入れます。
植物園に興味がなければ、門を入ってすぐ右のみちを進むのが最短です。
雪が降ってすぐに行ったので、雪がしかみれませんでした。
ひろばとしては、だいぶ広いです。
立地的に稲城のよみうりランドのところにある小沢城と相対しているとのことで、驚きです。
水生植物園の上の小高い丘に向かい、小道を登ると深大寺城跡の石碑がありました。
その奥に広い芝生があり、とても大きな木があり新緑の葉をなびかせていました。
ベンチもあり、とても落ち着く場所でした。
都内に残る城跡は丘陵地の土造りの砦ですね。
神代植物園の一部となっていて、周囲は竹林など、中央部は谷状に沈んでいます。
深大寺城跡をサイクリングの途中に立ち寄りました。
深大寺城跡は、神代植物公園 水生植物園内にあります。
正面入口を入って左側に駐輪場があります。
入口を入って直ぐにトイレがありますが、その右側から向かっても行けます。
また、水生植物園を見学しながら奥の右側から少し丘を登ったところから行くことも出来ます。
深大寺門前の喧騒から遮断されたように、芝生を樹々が覆い、静かな別世界。
陽だまりの中のんびり過ごすのに良い穴場。
神代植物公園は月曜休園なので注意が必要です。
休園日は写真の深大寺城跡の西側にある看板しか見れませんので。
調布周辺では最も人気のある観光スポットである深大寺一帯は、深大寺そばを求めて観光客が押し寄せていますが、城跡周辺は訪れる人も少なく、緑が豊かで、古城の雰囲気を感じることができる、歴史に関心がある人には楽しめるところです。
初夏に登城すると土塁を覆う芝生の緑が映え、とても印象的でした。
深大寺から、深大寺城も訪問👣(^^)。
都立神代植物公園内にあるとのことで公園入口から入園。
紅葉を楽しみつつ城跡側に向かう階段を登ると石垣発見👀。
第一郭跡の、小口、土累、空掘を鑑賞しつつ、第二郭へ行きそば畑を見て、扇谷上杉氏方·息子朝定が造営したお城を堪能してきました(^^)。
週末のお昼でも空いていてゆっくりとした時間が流れています。
深大寺参りの時に寄りました。
深大寺水生園の中に城址はあります。
深大寺植物園からすぐです。
はっきり言って通好みの場所です。
追伸 ベンチやたら多いので、写生大会にはオススメかな?
都内では貴重な平城遺構(虎口、土橋、空堀、土塁)が残ります。
公園化されているので気軽に散策できます♪
神代植物公園の水生植物園内の丘上に位置します。
こんな場所もあるのですね。
2018/2/3周囲を低湿地で囲まれた要害地だったと思われ、今も湿地を利用した公園となっている。
台地上はかなり改変されているが、なんとなく城跡を感じられる場所もある。
郭や土塁、空堀の跡が残る。
近くの深大寺に参拝したり、名物の日本蕎麦を食べるのも楽しい。
水生植物園からの坂道は空堀と城郭の石垣が城跡へいざないます。
坂を登った先の高台は芝生の広場になっている。
戦国時代の武士の居住跡の柱の位置に石台が設置されている。
武士たちはこの小高い丘から周辺を見張っていたのでしょうか。
つわものどもの夢のあと…そんな俳句想い浮かべました。
広場周辺の遊歩道を中学生の男女がランニングに精出していました。
深大寺門前町周辺の賑わいをよそに、水生植物園とともに静かなところ、のんびり過ごせます。
都内の城跡で空堀土塁などの見所もあり車を止めるのが大変だったかも。
よく整備されてはいるものの、空堀などはしっかり残されている。
二郭奥の土塁と空堀は兵を隠密に移動させる通路かと思います。
深大寺城跡深大寺植物公園から入ります。
入ってトイレを正面右にいくとそば畑のある本丸に到着します。
ちなみに隣接する蕎麦屋(多聞)の大盛りはヘルメットなので是非一度。
天気の良い日に行ってきました!遺跡跡という事ですが、整備されてて、ベンチも結構あるので、のんびりするのにとてもステキな場所です。
神代植物公園の「離れ」、ひとけの無い水生植物園の一角にあり、小高い丘に登れば小さな看板を見て なるほど なるほど、空堀と土累そして芝生広場。
芝生広場の大きな木は何の木でしょう?冬枯れの枝に小さな実を付けていました。
水生植物園と一緒に無料で回ってくることができます。
今日はザゼンソウが咲いていました‼️一株しか花をつけない貴重な物らしいです。
どこかに資料館のようなものはあるのでしょうか?地形模型と説明板を求めてしまいます。
う~ん、やっぱり予習しておけばよかった❗
深大寺と言えば「深大寺そば」を連想するだろう。
かつて、寺周辺の土壌と湧き水は、そばを栽培するのに理想的な環境だった。
しかし、1961年の神代植物公園の開園に伴い、広大なそば畑が公園の敷地になってしまったため、そば農家たちは公園にやって来る人々を目当てに、そば屋を開くようになったそうだ。
深大寺の正門である山門周辺の通りには木々が生い茂り、和の情緒溢れる昔ながらのそば屋が20軒以上も並んでいる。
奈良時代に法相宗の寺院として開かれましたが、その後天台宗に改宗したのが深大寺です。
本尊は本堂にある阿弥陀三尊像。
釈迦堂には国宝の釈迦如来像が安置されています。
敷地内には本堂、釈迦堂の他に4つのお堂があり、短距離短時間でお寺巡りをしたい方には必見です。
深大寺は厄除けとして知られていますが、開山の背景に恋物語があったとされ、縁結びの寺としても有名です。
水生植物園の南側の台地にある深大寺城跡、国の史跡になっている。
戦国時代、扇谷上杉氏が造営したものだという。
雑木林を抜けると広い草地に出るがここが館跡、周囲には空堀や土塁の跡が残されている。
草地には関東タンポポやヘラオオバコが自生。
一部は、近所の小学校のそば畑に利用され、名物の深大寺そばが育てられているそうだ。
入口が複雑。
テニスコート行きはテニスコートが終点。
植物公園水生植物園の入口を侵入し右手の急勾配の坂を上りきると目的地到着。
小高い丘。
以下引用古くは武蔵七党の狛江氏の築城と伝承される。
戦国期には扇谷上杉氏の所領であったが、天文六(1537)年四月、扇谷上杉朝興は河越城で死去、朝定が跡を継いだ。
上杉朝定は難波田広宗に命じて深大寺城を整備するが、北条氏綱は深大寺城に付け城を築いて封鎖し、直接河越城に進撃、三ツ木で朝定の叔父、朝成に勝利、上杉軍は総崩れとなり、河越城を捨てて松山城に退却した。
扇谷上杉氏は深大寺城から徹底し廃城となった。
北条氏綱が高縄原合戦で江戸城を奪取して、扇谷上杉氏の本拠・河越城を虎視眈々と狙っていたのに対し、扇谷上杉氏が古い砦跡を急遽改修して北条氏の侵攻に備えたのがこの深大寺城と言われています。
しかし、北条氏は当時16歳の氏康の初陣である小沢原合戦に勝ち、一気に河越城まで侵攻しました。
こんな小城など気に留めるほどのものではなかったようです。
もっとも、北条氏がこの深大寺城に対する付城として、牟礼・烏山に砦を築いたことが確認されており、この深大寺城での攻防があったことを伝える古文書も存在するらしいです。
武蔵一円が北条氏の手に陥ちた後には、この城には使われていた形跡も無く、たぶんそのまま討ち捨てられ廃城になったのでしょう。
この一連の江戸城攻防から河越城攻防までは一方的に北条氏の勝利に終わっており、その後の第一次国府台合戦、そして関東の天王山・河越夜戦で決定的勝利を収めた北条氏が、関東の覇者として天正十八(1590)年まで君臨することになります。
その意味では、ここ深大寺での直接の戦闘があったかどうかはともかく、上杉氏の衰退と北条氏破竹の進撃の歴史を物語る場所でもあるわけです。
東京にこれだけの中世城郭跡が残っている奇跡に感謝です。
明るい芝生公園なので、一見すると城趾っぽくないですが、歩き回ってみるとそれなりにイメージがつきます。
マンガ「東京城址女子高生」第3話で登場(登城)しています❤
名前 |
深大寺城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
ここ深大寺城跡は、戦国時代、扇谷上杉氏の築城で、北条氏が改修した城で、城があるのに中々攻められなかった城で、現在、こんなに、遺構が、残ってると思いませんでした!!土塁、石碑、二の丸の石郡が残るで、凄いです!神代植物公園の奥にあります!!