玉川上水にかかる小さな橋。
この少し上流に架かる大橋が古道の大師道で、その十数メートル上流に残る斜めの橋台は大正の終わりころ境浄水場建設のため武蔵境から円弧を描く分岐線の名残で、その線を大部分流用して延伸したのが先の大戦でゼロ戦を製造していた中島飛行機への分岐線として使用され、戦後数年経ち分岐線の真ん中を流用し三鷹から武蔵野競技場行きとしてほんの数年使用された名残の橋台があった場所が銀杏橋として再生された、ここは昔丁字路で三鷹から境方面への抜け道的な場所で桜並木が奇麗な場所であったが、今は大幅に拡幅され武蔵境通りとなり昔の面影はほとんど無くなっている。
廃線となった鉄道「武蔵野競技線」のレールが現存する橋です。
この橋は2012年(平成24年)になってから架けられたものだが、橋の下にある橋台跡は工場への引込線だった頃の唯一の戦争遺構なのだ。
蔵野競技場線は、かつて国鉄が運行していた中央本線の三鷹駅から分岐した支線。
武蔵野競技場線は1950年に廃止となった旧中島飛行機武蔵野製作所の軍事引き込み線の二次利用で、1951年に運行が開始された。
1951年に出来た武蔵野グリーンパーク球場へ野球が開催された時に乗客を輸送することが目的だった。
しかし、スタジアムは1年で閉鎖となり、翌年から運行休止となって1959年に廃線となっている。
三鷹駅から武蔵野競技場前駅まで3.2kmを営業していた。
新武蔵境通りによって武蔵境周辺の風景も随分変わりました。
とくにこのぎんなん橋はそうです。
かつてここは、武蔵境駅から武蔵野市北部にある中島飛行機工場までの引き込み線の寸断された鉄橋跡がある、閑静な玉川上水緑道でした。
20年以上前はここで鉄橋跡を見るたびに失われた過去の地図を頭に思い浮かべ、そして免許のない未成年でも乗れて遠くに行ける『鉄道』という輸送手段がここにもあった事から、残っていたらどんな景色がみられたのだろう、と夢想した物です。
今はそこに、かつての鉄道橋を再現したぎんなん橋がかかっています。
表面にはレールが埋め込まれ、往時の面影が偲べるようになっています。
ただ、かつての橋の基部が見えなくなっているのがもったいないのですが…まあ便利になったので愚痴らずに有難く使わせていただくことにしましょう。
現在の武蔵野中央公園まで続く廃線跡です。
三鷹駅からの分岐です。
すぐ隣には、境浄水場への引き込み線だった廃線跡があります。
武蔵境駅からの分岐です。
理由はよく分かりませんが、輸送先が違うからなのでしょう。
調布保谷線が整備されて橋も大きくなりました。
こちらには三鷹駅と武蔵境駅の間から分岐してグリーンパークに向かう線路があった場所なので、この橋の人道橋にも線路がオブジェとして埋め込まれています。
もう線路があった当時のことを覚えている人は少ないと思うので、歴史を保村するという意味で良いと思います。
玉川上水にかかる小さな橋。
戦時中は引き込み線が通っていたところなので、それを示すために橋には線路が埋め込まれています。
三鷹~中央公園までの線路跡は遊歩道になっているので、昔を想像しながら歩くのもお勧めです。
名前 |
ぎんなん橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
この橋の下にはコィが沢山いて餌を挙げると寄って来てとっても可愛いです。