心静かにお参りをさせていただきました。
心静かにお参りをさせていただきました。
本堂左横から奥の墓所に行くと、一番手前左手にあります。
一般の墓地なので観光気分での訪問は控えましょう。
新選組ファンには凄く興味深い龍源寺の墓域内にある新選組である幕末期に活躍した武士、幕臣、甲陽鎮撫隊隊長・近藤勇氏のお墓🙏近藤家一族のお墓の中では一番背が高くて頭の部分が出ています😊さらに少し麦茶色をしていて味わい深いです😎お墓は東京都の指定文化財に指定されています✨✨✨
近藤勇生家跡から東へ人見街道(110号線)を歩いて4分程、三鷹と調布の市境にある曹洞宗のお寺、龍源寺。
地理的には、京王線飛田給駅から北に進み、味の素スタジアム、調布飛行場を過ぎて、野川公園入口のやや東となります。
ここに近藤勇局長が永眠されています。
門前には、局長の胸像や「近藤勇と天然理心流」石碑があります。
凛々しい顔立ちが見事に顕れています。
境内に入り、正面にある本堂を左脇に抜け、奥の墓地群が見えてきます。
中に入ると直ぐ右に近藤家の墓所があります。
5基の墓が並んでおり、右から二番目が局長の墓です。
1868年(慶応4年)4月25日、局長は板橋刑場で処刑されます(享年35歳)。
首級は京の三条河原で晒し首にされ、その後は行方不明のままです。
体は板橋で埋葬されますが、処刑の3日後に長兄と甥の親子が掘り起こします。
京で負った右肩の銃創で本人と判明、夜を徹して運び、生家近くまで戻ると、相曽浦橋で親族が出迎え、遺体を洗ったと云われます。
そして葬られたのが龍源寺です。
墓の左手には辞世の句の碑が建てられています。
孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流一片丹衷能殉節 睢陽千古是吾儔靡他今日復何言 取義捨生吾所尊快受電光三尺劒 只將一死報君恩見事な忠臣愛国の漢詩、七言絶句です。
生家を見に行ってからこちらもお参りしてきました。
門前にあるのでおてらに入らなくてもお参りや見学が出来ます。
外にも門前にはお地蔵さまや馬頭観音などが祀られています。
お寺の門前に大きな石碑と銅像が一緒に祀られています。
石像は画像で見る近藤さんの写真や絵にはちょっと似てない気がしました、気のせいかもしれません。
慶応4年(1868年)4月25日、板橋で斬首された近藤勇の首の無い遺体を、甥の近藤勇五郎が引き取り、生家近くのこの龍源寺に埋葬したとのことです。
何度も訪れてます。
まさかここにあるなんて。
それが最初の印象。
近藤家の面々が眠ってます。
境内には、堤一族がばらまいた徳川将軍薨去時に大名から贈られた石灯篭が置かれてます。
近藤 勇は江戸時代末期の武士。
新選組局長。
後に幕臣に取り立てられ慶応4年(1868年)から大久保剛を名乗り甲陽鎮撫隊隊長となる。
後に大久保大和と改め斬首されたが、世間では「近藤 勇」で知られている。
近藤勇の生家の近くに墓地があります。
ここには書かれていませんが、生家にある掲示の説明書きによると、板橋で刑死後に首のない遺体を掘り起こしてここに埋葬したとあります。
名前 |
近藤勇墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
近藤勇家のお墓参りさせていただきました。
風邪が強かったので火は付けずに、お線香あげてまいりました。