建立年月日不明の不動明王碑があります。
野川の不動明王と庚申塚 / / .
不動橋の北側に位置し、庚申塔は延享(1745年)に国分寺村の人々が建て、隣に天保3年(1832年)の記念銘のある石橋供養塔と、 建立年月日不明の不動明王碑があります。
石橋供養塔は、常に人に踏まれている石橋を供養する意味と、石橋を渡って村内に疫病や災いが入り込むのを防ぐ意味がある と伝えられています。
不動明王碑は、村内に疫病や災厄が入り込むのを防ぐ意味のためと伝えられており、小さな石碑ですが、今でも花や絵馬が飾られており、信仰の対象に もなっています。
保存していてほしい。
野川には鯉や鴨を見ることができます。
時にはこんなモノも。
鷺でしょうか😅
庚申塚は、庚申塔とも言い、還暦は60年に一回、庚申(カノエサル)の日は、60日に一回です。
庚申の日には、夜、一睡もしてはならない。
眠ると、体の中にいる「三シ虫」(さんしちゅう)が夜、体から抜け出し、天に昇って、この人の悪行を天帝に報告をするという、中国の「道教」に由来する信仰で、3年間18回の庚申の日の行事を行った記念に、このような石塔を建てたと言われています。
心ない私には、二ヶ月に一回の庚申の日に集い、一晩飲み、且つ、語り明かすことは、お正月とお盆休みしかなかった当時の人々にとって、待ち遠しい日だったのではないかと思います。
60日に一回とは絶妙な間隔で、江戸時代の生活のリズムにぴったりで、すばらしいコミュニケーションの場になったことと思います。
ちょっと休憩にはいいです。
ベンチ2つあります。
橋の名前の由来になったと言われている石塔と保存状態もしっかりしていて立派な小さな庚申塔✨✨✨
橋の袂にちょこんとあります。
碑文を読むのも楽しいです。
石橋供養塔は、すぐ横の不動橋の供養などのために建立されたとのことです。
石橋供養塔が 目立っていない。
お鷹の道に行くなら立ち寄っては如何でしょうか?
柄杓も置いてある。
国分寺崖線のハケにある不動明王と庚申塚。
崖線からは清水がわき、手水鉢を満たしている。
目の前の野川には「不動橋」がかかり、お鷹の道・真姿の池湧水群への入口へと通じている。
野川も手水鉢の清水も、真姿の池湧水群も崖線がもたらした水の恵みであることを思うと、都市化された国分寺の中の貴重な自然遺産であるともいえる。
名前 |
野川の不動明王と庚申塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004247.html |
評価 |
3.6 |
南側の野川に架かる不動橋が石橋だったころに建てられた石橋供養塔が川沿い道の北側の植木の中に埋もれていた。