全国に数ある国分寺の一つ。
ここだけ空気も一気に変わる、静かで落ち着いたお堂。
建物自体も市の重要文化財として登録されている。
観光には不向きかもしれないが、「国分寺」を感じられる施設の1つなので訪れたい。
市指定重要有形文化財の国分寺薬師堂です。
正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されており、10月ごろには、年に一度の開帳日があるとのことです。
静やね~。
ここ。
大きい道から離れてるし。
すぐ脇に坂道、あるけど、わざわざ通らんもんね、結構急な坂道で車が立ち往生してるのも見る。
変な話しですが、人間的には、人的には、…いいところ。
静で、お寺さんがあって、境内登ってみると、しーんとしてて。
ここは国分寺本堂ではないんだけど、本堂より以上に静けさ渡る場所で。
なんでしょ、幽明渡るセカイ、ですか?。
漢字変換、間違ってないか?、ちょっと操作してるけど、意味が通ればね。
まぁ、そんな人間のことは置いといて、静かで、いいとこ、です。
正門や本堂がとても立派でした!ただ、木々により光があまり差し込んでおらず、しっかりと剪定すれば光があたり明るくなって良い感じだと思った印象でした。
初めての体験なのですが、このお寺に向かう途中の墓地の横を通り過ぎた時に具合が悪くなりました(笑)例えるなら車酔いですね。
これはもしかしたら霊がついてきたのかと思い、そのまま階段を登り本堂で参拝。
参拝後には不思議と車酔いの様な気持ち悪さが無くなっていたので霊がついてきていたのでしょうね。
全く鬱陶しい話で、ちょっとした不思議体験でした(^o^)
医王山縁起によれば、国分寺境内の薬師堂は、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。
現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。
とても静かな凛とした雰囲気が漂っていました。
木々以外はとてもキレイに手入れされていました。
木が鬱蒼としているので、手入れして欲しいところです。
重要文化財のお薬師さんがいらっしゃるそうですが、本堂へは上がれませんでした。
ご縁日に開扉されるのかなぁ?寂れた雰囲気はありますが、仁王門もあり赤い屋根のお社もあったので、国分寺と合わせた伽藍は壮大だったんでしょうね。
現国分寺の境内にある。
鎌倉末期の戦乱で国分寺が戦禍に遭った後、新田義貞が現在の金堂跡地に薬師堂を寄進し、のち宝暦6年頃に現在地に再建された。
堂前には鐘楼もある。
本尊の薬師如来像は平安時代の作と言われ、毎年10月10日にのみ御開帳される。
国の重要文化財でもある。
現存していたら、国分寺最大級のものでしたから、本当に貴重な建造物だけに、いざ、鎌倉での焼失が悔やまれます。
とにかく惜しい。
実物を見てみたかったです。
御守り用意してます。
お声かけくださいと書いてある割に声掛けると出てきたオバサンに露骨にイヤな顔をされた。
社務所の中に入れてもらえず御朱印だけ頼んだら10分したら呼び鈴押してくださいとか。
対応しくなければ書かなきゃいいのに。
真言宗豊山派寺院。
古の武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたようだ。
その後衰退し、宝暦6年(1756年)頃に薬師堂が再建された。
薬師堂は、建武2年(1335年)に新田義貞が旧国分寺の金堂跡に建てたことによるが、その後、宝暦年間(1751年-1763年)に再建された。
薬師如来坐像は国の重要文化財。
仁王門は宝暦年間(1751年-1763年)の建立、入母屋造の八脚門。
楼門は米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築した。
薬師堂・仁王門・楼門は、国分寺市の文化財に指定されている。
「万葉植物園」があり、これは元国分寺住職が昭和25年-38年(1950 - 1963年)に、万葉集に歌われた植物160種を集めて造った植物園で、市の天然記念物。
現在の寺を中心として、旧武蔵国分寺の史跡が点在している。
現在の寺は、武蔵野の自然にはぐくまれた、静かな場所にあり、薬師堂あたりは、寂寞感が漂い古の趣がある。
名前 |
国分寺薬師堂 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-325-2211 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
10月10日の薬師堂御開帳に寄らせていただきました❀