伝鎌倉街道の西の台地にある中世の寺院跡。
伝鎌倉街道の西の台地にある中世の寺院跡。
それほど広くはないものの、平場と周囲に土塁が残る。
碑があり下のように書かれれていた。
本跡は尼寺伽藍の一部とする説もあったが、近年の調査によって、鎌倉時代末頃に建てられた寺院と判明し、本多4丁目の祥応寺の前身にあたると考えられている。
旧鎌倉街道と言われる切り通しに東面して、土塁(基底部幅3m、高さ1.2m以上)と溝とで東西30m、南北45mの長方形の区画が形づくられている。
現存するおよそ15個の礎石の分布などから、東西9m、南北18mほどの規模の堂がその中央にあり、瓦を用いない建物であったと推定される。
出土品には鉄製風鐸・板碑、銭貨などがある。
ぶっちゃけ崖途中の平地で案内板がる程度です。
ここ単品ではなく付近にある多くの遺跡遺構と共に見学しましょう。
武蔵国分寺の広さ、当時の朝廷の権力が窺い知れると思います。
名前 |
伝祥應寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
夜は怖いよね❗