偶然ここを見つけ、見学してきました。
西武多摩川線をオーバークロスするため甲州街道が築堤されているので、すぐ脇にあるのだが車からは見づらい位置にある、残り少ない戦闘機を空襲から守るために作られた格納庫と言ったところ、主に戦闘機飛燕を格納していたと思われる、長年保守されかつ補修もされているので保存状態も良く戦争の体験を語り継ぐ証拠として残していきたい施設。
武蔵野台駅から歩いて10分ぐらいです。
途中に看板があります。
結構大きくてびっくりしました。
天井を見れば砂利や鉄筋が見えるのでどれだけ短期間で作られたのかわかります。
とても興味深い建造物です。
西武多摩川線と国道20号線の陸橋が交差する普通の住宅地に「戦争遺構」がひっそりたたずんでいます。
掩体壕と呼ばれる、旧陸軍戦闘機を隠すために格納していた壕です。
人が入る防空壕ではないので、扇様の形をしています。
壕の中を覗くと、ビニールテープで飛行機を形どってあって、戦闘機がこうやって入っていたんだなぁと想像することができます。
隠された戦闘機は、鹿児島県知覧の飛行場へ飛び立ったり訓練に飛んで行ったりしたそうです。
壕を前にし目をつぶって戦線での光景を思うと何かグッと胸に込み上げてきて言葉になりません。
展示の脇には「平和の木」が植樹されています。
広島被爆二世の木とのことです。
壕が風化しないように、そして平和の木が大きく成長するように未来に繫がる希望の施設です。
住宅地の土地がほしいスペースに戦争遺構が保存展示されています。
案内板が充実の内容でした。
昭和の子供たちが掩体壕の前で遊んでいる写真や掩体壕の作り方なども書かれていました。
飛行場挟んて斜向い、三鷹市の掩体壕 大沢1号の入口はパネルで塞がれており、そこに絵で格納していた飛燕が書いてあり降着装置が見切れていたので地面の嵩上げで埋まったのかと思ったら、掘り下げていた事をココで知りました。
ずっと、平面にカマボコ型の型枠作ったんだと思っていました。
掩体壕の中まで覗けるようになっており、安全対策なのか排水対策なのか砂利敷にはなっていましたが、ビニール紐で飛燕の形を書いたりと工夫があり楽しめます。
西武白糸台駅近く。
太平洋戦争末期、東京の防衛のために建設された調布飛行場の周りに掩体壕が築かれました。
掩体壕とは、敵の空爆から戦闘機を守ったり、秘匿する格納施設の事です。
掩体壕は戦後に解体されましたが、西武多摩川線沿線の白糸台に当時の掩体壕が残されています。
掩体壕はかまぼこの様な形をしており、飛行機の上を覆い、その上には草木を生やして偽装する事もあったそうです。
掩体壕は現在は世界各国で運用されており、日本では現在も自衛隊が掩体壕を運用しています。
先日、武蔵野の森公園敷地内にある掩体壕(えんたいごう)大沢1,2号を見学しました。
その際、白糸掩体壕があるのを知って訪れてみました。
やはり、太平洋戦争末期の三式戦闘機(飛燕)を守るための有蓋掩体壕でした。
なお、甲州街道から掩体壕の全体像を見渡すことができます。
ランニングで見つけた。
歴史を後世に残してほしい。
整備し過ぎなくらい、綺麗にされてます。
ゼロ戦飛行機を置く隠し場所を残されています。
住宅地と20号線に囲まれた目立たない場所にひっそりと存在する戦争遺跡。
調布飛行場からはちょっと距離があるが、あの項はこうまでして大事な戦闘機を隠したかたと思うと、辛い気持ちになる。
柵に囲まれ、中には入れないが、広くない洞の中は湿った空気のにおいがする。
ここ以外には飛行場近くの都立公園に二つ、あと個人所有(のため近づけないが、見て判る)が近くにーつある。
昔はもっとたくさんあったらしい。
すべてを歩いて見て回れるぐらいの距離感です。
多磨霊園の山本五十六元帥、東郷平八郎元帥のお墓参りに行く途中、偶然ここを見つけ、見学してきました。
R20高架下の住宅街の中にこのような歴史的建造物が保存されていることに、深く感銘しました。
今後もこの歴史的価値の高い建造物の、末永い保存を願っております。
太平洋戦争時に築造された掩体壕です。
陸軍調布飛行場周辺には当時130余の掩体壕が造られましたが、現存しているのは4カ所だけで、なおかつ現在見学可能な物はここだけになります。
甲州街道バイパスが西武多摩川線を跨ぐ築堤のすぐ脇に有ります。
駐車スペースは有りません。
立派な説明板が設置されており、通常時でも柵越しに内部を見ることは十分できますが、1年に1度、11月3日だけは府中市文化財課の方による解説とともに内部に立ち入ることが出来ます。
当時は三式戦闘機「飛燕」を格納していたとのことですが、物資不足のためか、あるいは秘匿のためか、殆ど余裕のないギリギリのサイズになっています。
太平洋戦争時の戦闘機の防空壕です。
甲州街道(国道20号)の高架脇、住宅地のなかにひっそりと存在していて場所は分かりづらいかもしれません。
人通りも少なく説明の看板があるくらいで、回りは特に何もありません。
普段は中には入れませんが不定期で特別公開があり見学することができます。
これまでに数多くの掩体壕を見てきましたが、ここにある物は小型の戦闘機・飛燕の物なので小さめの掩体壕です。
この周辺は現在公園として整備されてますが、太平洋戦争の頃は周辺の航空機製造工場などを守る為の航空隊基地でした。
当時としては最新鋭の戦闘機が配備されていた基地となります。
それだけ重要な任務を任されていたといえるでしょう。
この場所意外にも2つだと思いますが線路沿いの住宅街にも綺麗な状態で掩体壕が残ってます。
掩体壕には蓋がされてますが飛燕の絵が描かれてます。
その横には飛燕の銅像や説明がございました。
駐車場はありませんが、南東のフェンス横に停める事は出来ます。
しかしここに至る道が一方通行な上、狭隘路なので車、特に普通車で行くのはオススメできません。
説明パネルの中央写真の機体は3式戦闘機飛燕の液冷V型エンジンを空冷星型エンジンに換装した「5式戦闘機」、手前に写る機体は排気タービンを付けたⅡ型のようです。
太平洋戦争末期に戦闘機を米軍からの空襲から守るために作られた格納施設を「掩体壕」と呼んでいます。
当時、調布飛行場にはコンクリート製の屋根のある有蓋掩体壕が約30基作られたそうですが、現在残っているのはわずか4基。
府中市内には2基ありますが、公開されているのはこの白糸台掩体壕のみです。
普段は外から柵越しに内部を覗くことしかできませんが、年に一度11月3日だけは内部に入ることが出来るので、見学しに行ってきました。
現在の内部は砂が敷き詰められていますが、その深さは約30cm、内部の規格は戦闘機「飛燕」と合致しており、高さはわずか3cmの余裕しかなかったそうです。
当時、格納する際は戦闘機後部を紐で引いたそうですが、その作業の正確さに驚かされます。
出すときも大変な技術を要したのではないかと思われます。
天井のコンクリートは保存修理されているとはいえ、手を触れることもはばかられるほど風化した感じになっています。
戦争の遺跡が減っていく中、ここが残されていることはこの地域の歴史を学ぶことが出来る貴重な存在ですね。
施設内にある「平和の木」は広島の爆心地で生き残った木の2世だそうです。
2016年11月3日に植えられたそうですが、今はだいぶ大きく育っています。
平和のシンボルですね。
1年に1回、11月3日だけ公開する。
市職員が丁寧に説明してくれました。
二次大戦中に作られた、空襲から戦闘機を隠し守るための施設。
今はフェンスで囲われていますが、地元のご老人によると子供の頃はよく乗っかって遊んでいたそうです。
天井を見るとコンクリ内に大きな石が多く、急造された感じがしましたが、案内板を見ると専門の工員が作ったものではない様でした。
甲州街道の陸橋の下にあり危うく通り過ぎかけたので、皆さまもご注意を。
ここに掩体壕があるのですから、当時の調布飛行場は今よりずっと大きかったのです。
二次大戦のころの遺構です。
似たような掩体壕が調布飛行場の周りに点在しています。
ここは住宅街のど真ん中にあるので、近所に住んでいても知らないと気付かなかったりします。
周りは綺麗に整備され、見学しやすくなっています。
甲州街道の陸橋の上から全体を見下ろせる。
府中市内にもう1基掩体壕があるらしい。
名前 |
旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
042-335-4393 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
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元の所有者が丁寧に保存をしていてくれた事で今日まで残り、また市の管理のお陰でとても良い状態で残っている。
使われないものというのはすぐ劣化して無くなってしまうし、保たせようとすると労力や費用がかかる。
それでも残す事に意義を感じ多大な労力をかけ今日の自分達に残してくれている誰かのお陰で、今日の私達は当時の面影を垣間見る事が出来る。