観世寺から少し離れた川のそばにあります。
とても不思議な場所でした。
そこだけポッカリと時間が止まっているような…。
楽しく練習しました。
絆半隠しラーメンが、美味しかったです😃
鬼婆の住んでいたというお寺から矢印でてますが矢印通りに行くとお隣の施設に入ってしまうのでそちらではなく川の土手の方に登って行くとすぐ河原に見えます。
石碑と大きな木があります。
一応管理はされているみたいだけれど、周りに何も無いので寂しい感じ。
天正18年(1590)の秀吉の奥州仕置で蒲生氏郷が会津に移った頃に、阿武隈川の西側を安達ヶ原と云って蒲生氏郷の領分、川の東側に黒塚があって伊達政宗の領分であった。
「近くの者達はこの黒塚を会津領であるといい、川の東の者達は政宗の領であると互いに境の論争になっていたが、氏郷はこれを聞いて、平兼盛の歌に『みちのくの 安達ケ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか』と云う古歌あるので、黒塚は安達ヶ原であり会津領であると云って論争に勝った。
」という逸話が残っている。
悲しい伝説が残っています。
敷地内は猫が数匹くつろいでます。
とても歴史を感じられるよい場所でした。
鬼婆が潜む場所。
旅人の肝を喰らっているそうな。
奥の細道 第13の段 「安積山・信夫の里」曾良旅日記に「小キ塚ニ杉植テ有」とあり、まさにその風景がここにあります。
ここも歌枕の地です。
拾遺集 平兼盛みちのくの安達の原のくろ塚に鬼こもれりといふはまことかまた、謡曲「黒塚(安達原)」の舞台でもあります。
女鬼の話は惨澹(さんたん)たるものですので、記載は遠慮させて頂きます。
芭蕉一行は、謡曲「黒塚(安達原)」の、夕方黒塚に立ち寄って宿を求める物語に倣い、夕方に訪れているとされます。
”夕方”というのが芭蕉のこだわりであるあるようですが、実際はこの日、現福島市郷野目に神尾氏を訪ねていることから、ここを訪れたのは昼頃で、前の安積山の”かつみ”探しも、ほとんど時間を割かなかったものと推測します。
(歴史の真実は1つだけとは限らないことが”浪漫”でもありますから、戯言として聞いて下さい)東にある天台宗の御寺「真弓観世寺」に女鬼が住んだとされる黒塚の岩屋と女鬼の塚があり、芭蕉一行は訪れています。
観世寺から少し離れた川のそばにあります。
鬼婆伝説の発祥地〔平安時代〕そしてここ黒塚は、ちぃーっと分かりにくい😓
ゆったり流れる阿武隈川の畔に、ひっそりとたたずむ黒塚がいにしえの物語を今に伝える。
観世寺の方から行くと、土手を下りたところにあるので、少しかわりずらいかも。
むかしむかし、この地に鬼婆が住んでいて、旅人の血を吸い肉を喰ったという伝説で、能の鬼女物の演目「黒塚」(安達原)の元ネタとなったもの「陸奥の安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」(平兼盛)
名前 |
黒塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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なんとも言えない寂しい雰囲気のところである。
阿武隈川の河川敷ではあるのだが、過去の洪水の時には、流されてしまうなどの問題なかったのであろうか。