足元に壊れた稲荷神社様の狛犬がいるよ。
設置日 平成5年1月27日野火止用水は承応四年(1655)、徳川幕府の老中松平伊豆守信綱によってつくられ、小川村の分岐点(現在の小平市中島町)から新河岸川まで六里(約24キロメートル)を四十日間で堀り通したといわれる用水路です。
この用水のおかげで、用水周辺の田、畑がうるおい、米の取れ高は十倍にもなったそうです。
また、美術工芸品の設置されたこの場所の町名は新堀といいますが、この掘りができたときに付けられたといわれる新堀という小字名を採用したものです。
ジオキャッシュで来ました。
昔の人には頭が下がります。
野火止用水を掘削した工員の像。
人力でこれほどのものを造ることが凄い。
足元に壊れた稲荷神社様の狛犬がいるよ。
野火止用水開削時の工夫像です。
武蔵野のいにしえと自然を堪能できる残り少ない場所にある名の無き偉人の像です。
東京の発展は、このような先人の努力と苦難があったことを偲びます。
感謝!!
野火止緑地の遊歩道と、やまもも通り(東大和のラーメン街道)の交差する橋のたもとに建っています。
この辺りでは野火止用水を新堀と呼ぶようです。
玉川上水より新しいので、新堀、だったと思います。
この像はその地名が付いた新堀に置かれています。
足元にはなぜか狐?お稲荷様?が置いてあります。
記念碑的な像ではなくて、アート作品なのかもしれません。
銘板には「用水工夫」とあるだけで、この像が何なのか、誰の管理なのか判然としません。
名前 |
用水工夫 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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掘っている感がよく表現されています。